たが返事がない。近いようでもなかなか離れているのだろう。谷が狭くなって両側の山が大きくなりだしたとき、一陣の西風がサーと吹いてきてタンネの森がジワジワとおののき、山はゴーと凄い音を立て、青空はすでに刷毛で掃いたような雲におおわれて明日の荒天を判然と示してきた。温度も急に下り、僕はなんだか身顫いするような不安に襲われた。だがそれから間もなく夏沢温泉に着くことができてホッとした。この温泉は地図で見ると峰ノ松目の北にあたる岩壁の所から、一、二町下らしい、ここからその岩壁がよく見えるから。温泉は障子のままにしてあるので風通しがいい。しかし森林地帯だからさほど強い風は吹かぬし、明るいので気持がいい。温度が低いので火は焚けなかったが、畳が敷いてあり、蒲団がたくさんあるので寒くはない。水は少し硫黄臭いが小川が前を流れている。積雪量は二尺くらいだ。
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昭和四年一月一日 雪 温泉出発九・〇〇 夏沢峠一一・二〇 温泉帰着一二・三〇
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昭和四年の元旦は吹雪で明けた。予想はしていたものの山の中の一軒屋にいて雪に降られるのは淋しい。元気を出して夏沢峠まで行って
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