一二〇メートル一の赤石絶頂へ午後十二時四十分に着いた。「大正十五年八月七日赤石絶頂を極む九十翁大倉鶴彦」と書いたのと植物愛護のことを書いた硝子入の立札が立ててある。ここから聖岳は近いのだが、霧がかかっていて谷のみしか見えぬ。名刺を置いて国境線を聖岳へ向って南へと急ぐ、大沢岳へ取付く前国境線を左にそれ百間洞へ下り、後ガレを一気に大沢岳へ登る。登り切って縦走して行くと向うの尾根に羚羊がいる。オオイと声をかけても知らぬ顔して向うを向いているし石を投げてもじっとしていたが、私が急いで行くと谷へ素早く下ってしまった。霧がかかっていなかったら写真を取るのだったが、バルブでは取れない、私は口惜しかった。それから二つほど山を越して兎岳へ登った。三角点へ往復して聖岳との鞍部へ下るとき、少し霧が晴れて聖岳が大きく聳えているのを見た。一番低そうなところまで下って露営することにした。着のみ着のまま寝るのだから気楽なものだ、ときに午後七時四十五分。
十三日、霧がかかって山は見えぬ、風もなかなか吹いている。荷物を置いて午前六時二十分にここを出発し道がわからなかったので、右側に絶壁を見下しながら尾根伝いに登って行
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