ない人にだまってついてこられると誰だってちょっと不愉快になるのですよ――と親切に言ってくれました。それで僕は初めて自分の不注意に気がつき、名刺を持っていなかったので手帳の紙にR・C・C加藤文太郎と書いてどうかよろしくと言って渡したのです。そのとき窪田氏が「うん」という風にうなずかれたと思います。その夜は福松君が板倉氏の話をしてくれました。それから福松君は昨年三月弘法の下で僕が会ったパーティのなかにおったそうで、あれから後のことや、劒の悪場には自分等がある夏、太い針金を取付けておいたとか、こんどは兵治君が案内するので、それで行けなかったら自分も頑張ってみる等と話しました。
 昭和五年の元旦は霧と雪とで明けました。いつになったら登って行けるのやら。兵治君は無理をすると危険ですぞとよく言ったし、我々案内ですら霧に巻かれると方角がわからず、この小屋の附近で露営したことさえあるんですとも言った。僕が例の斜面の西向の緩い方を辷っていると、土屋、松平、窪田三氏と兵治君がやってきて急な北向きの斜面を辷っておられました。霧が薄くなったとき、代り代りにシネかなんかで他の人等が一緒に辷って下りてくるのを撮影
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