道は馬車が通るほど広く、雪があってもときどき人が通うくらいで、今年はさほど悪いことはなかったが雪がウンと降ったときは雪崩の出る危険なところがたくさんある。しかしこの道は吹雪いても迷うこともなく、ラッセルも楽だし、途中ところどころに小屋があり、中ノ湯等は防寒具もあるうえ松本から一日でくるのも困難ではないようだから徳本峠よりズッと安心だ。中ノ湯の上の長い隧道を出てからは夏道は橋のないところがあって困ったが、ここも積雪期は夏道を避けて河原に下り、川床伝いに行けば安全らしい。狭い谷伝いを終って広々とした上高地に入ればもう心配はない。発電所の水の取入口があるので、ここへよって上高地の状態を聞く。積雪量は二尺くらいで、温度は最低摂氏氷点下十三度くらいだという。上高地温泉には下赤松の奥原吉次郎という爺さんが番をしていた。この爺さんは上高地に雪が降りだし、人々が山を下ってしまった後の長い長い冬のあいだを、一人で温泉の番をし、ときどき訊ねてくる登山者の世話をしているのだ。そして再び春がやってきて、上高地の雪も消え、人々がまた山へ登ってくる頃になると、温泉の裏の静かな山の中で、ただ一人木をきりながら暑い夏
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