くかかるから、単に一ノ俣の小屋に行くだけで常念山脈に興味をもたぬなら、徳本峠《とくごうとうげ》を越すか、沢渡《さわんど》を廻る方がいいと思った。徳本峠もときどき吹雪等のときに迷って霞沢岳の方へ行ったということを聞くし、吹雪がなくとも、新雪期はラッセルと登りに苦しみ、なお雪崩の危険も免れないのだから沢渡廻りが最も安全ではなかろうか。
沢渡――上高地
乗合自動車はたいてい稲核《いながき》までしか行かない。スキーをかついで、あの道を歩いていると一月の乗鞍のよかったことが思い出される。あのとき早稲田の人は遭難した人を探してやろうという気がないのか、やむを得ぬ事情があったのか、すぐ山を下りてしまった。少なくともあの辺の人より早稲田の人の方が山をよく知っているだろうし、同じように登山をしている人が行方不明になったというのに、なんだか人情がないような気がした。しかし僕は番所原の宿屋の人に冷泉の小屋から追い出されてしまったが、乗鞍の頂上に登った後であったので幸いであった。
沢渡の少し手前に家が二軒ある。そこで泊る。ちょうどあの時捜索に行った人の家であったので話に花が咲く。
梓川伝いの
前へ
次へ
全233ページ中102ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
加藤 文太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング