げ終わり]
今日は早朝からすでに上空が曇っている。これは天候悪化の確実な前兆である。風はなく暖かで山ははっきり見える。
富山駅から堀川新へ行く郊外電車の中や南富山から千垣に行く県営電車の中で見る立山連峰はいつもながら雄大な眺めだ。
いつも朝食は富山駅前で買った餡[#「餡」は底本では※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]]の入った餅です。この餅は旧正月頃に買うといつもの半値で実に安い。餅は食いやすくてよいが、重いので多量には持って行けない。富山で買ったのはまだやわらかいので、電車の中で少しと、芦峅から藤橋までのあいだでちょっと休んだとき等に中食として食べる。
以前は藤橋ホテル等によらず、昼食にもこの餅をたべていたが、近頃はホテルに休んで暖い昼食をし、魔法瓶に熱いお茶を入れてもらったりしてできるだけ楽をする。
正月頃でも去年のように雪の多い年や、二、三月頃には藤橋より八町ほど手前で雪崩のよく出るところがある。そこは高度も低く南斜面の草山なので日が当るとすぐ雪崩れる。雪崩のひどい年は河原を伝うように道ができていて橋も架っているほどである。また材木坂にも雪崩の出るところが二、三カ所ある。そのうち一番大きな奴が出るのは、地図の材木坂の材の字から南へ出ている浅い谷からである。この雪崩の出るところを越して次の尾根を二、三回キック・ターンをして登り、右へ巻けば清水の出ている一番大きな谷へ出る。この谷はブナ坂の下から出ている浅い谷のつづきである。清水は真冬でも埋ることがなく、いつも登山者に元気をつけてくれる。ここから上は広い谷なので大きくジッグザッグを刻みながら登れる。傾斜は随分急なので、日当りのよい三月頃はスキーのために足元から雪崩れることがあり、下りには特にいやなところである。
材木坂の下りにはこの清水のところをよく注意していて、これより下へくだり過ぎないようにしながら右へ谷をトラバースしないと悪場がある。しかし例年正月頃は雪が少なく道が全く出ていて、それらの心配がなくスキーを担いで上下するときの方が多い。
スキーはアルペン担ぎにした方が両手が自由なので都合がよい。これは両スキーの先端を重ねて前皮か適当な紐で締め、両締具をルックザックの負皮の上の鐶に通して、ルックザックとともに担ぐのである。もしスキーがぐらつくようならテールの方も紐で腰に縛りつけるのである。
いつもブナ坂を登り切ると、悪場から開放された安心からレモン・ティ等を沸かしてしばらく休む。今年は新道ができていて美女平を通らず尾根の右端を巻いて小谷にいで、それを渡ったりなどしてしばらくは道もわかったが、すぐ道を失いあとは藪をくぐりながらほぼ旧道に沿って登って行った。ここは杉の植林がしてあり、迷えば左の方へ巻く方が楽である。
ここまでくると天候は全く崩れて予想通り雪が降り出した。霧のためにブナ林もぼんやり霞んで遠くは見えない。ブナ坂は約一一四〇メートルから一一八五メートルくらいの広い大きな坂でよくわかる。この坂は道より少し右寄りに登った方が楽だ。これを登り切ればすぐ目の前にブナの小屋が大きく現われる。時間はまだ早かったが、雪が降り出したのでここへ泊ることにして内へ入る。小屋は二階建ての頑丈なもので、どんな大雪のときにも埋って入れぬということはないであろう。寝具、食糧、燃料等も備えてあり、五月にはたいてい番人がいるから安心だ。
この日はお客が僕一人なので儲からないと思って番人は山を下ってしまった。天候はますます悪化して夕方から風が吹き出し、夜中には雪が雨に変って物凄い暴風雨になった。初め二階に寝ていたが、ひどくゆれて不安なので下の炊事場へ退却した。しかし炊事場も大変いたんでいてあちこち雨が洩るので一晩小さくなって寝ていた。
[#地から1字上げ]昭和十年一月一日 雪 ブナ小屋滞在
朝になって風は落ち、雨は雪に変った。しかし、まだ急にはよくなりそうもないので滞在ときめて、食糧節約のため小屋番の残して行ったぼろぼろの飯をおかゆにして食べる。昼頃ちょっとスキーの練習にブナ林を下ってみる。雪量が少ないため藪が多く、よく転ぶのと、一人では淋しいのですぐ止めてしまう。
この坂は二、三月頃の雪の多いときは全く気持のよい斜面で、二、三人もいてスキーの練習をしていれば実に愉快なところである。それに山の方が随分ひどく荒れていてもここは高度が低いのと、ブナの林の中なのでスキーの練習ができないということはない。僕は去年の正月、ここで一週間降り込められて弘法までさえ行けなかったが、ちょうど一緒になった名古屋三菱のパーティとともにブナ坂で転び廻ったり、小屋番や案内人と兎を追っかけたりして遊び、夜はストーブを囲んで山の話にメートルを上げる等、実に愉快な合宿気分を味うことができ
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