ルを横にして上の雪を潰し、これを脛で固め一歩一歩泳ぐようにして登らねばならなかったので二人とも全く大汗をかいてしまった。第六峰は雪ばかりの広い尾根で、ブラブラと登ることができたが、五峰からもう痩せていてところどころ岩も出ているので安全第一とアンザイレンしたため、岩登りの下手な僕が始終ブレーキになって、第三峰のチムニーの下へきたときには予想外にときを経ていた。ここで取付きやすい左のチムニーに入ったが、これには全部雪がつまっていて上の方に雪庇さえ懸っていた。その雪庇を落すために二、三度努力してみたけれど、ピッケルが思うようにとどかぬので、諦めてその下に雪のトンネルを斜めに掘り始めた。このトンネル作業はピッケル以外に適当な道具が無かったため実に労が多く、三時間ほどもかかってやっと抜け出すことができた。しかしもうそのときは夕闇がせまり、その上雪まで降り出してきた。そこからしばらく右へ雪の斜面を登ると本尾根へ出ることができた。本尾根は大きな岩のリッジになっているので、少しく右へ下り気味に涸沢側を巻き、そこより真上に岩と雪の斜面を登ろうとしたが、雪がひどく降り出して懐中電灯の光ではコースがよくわからず、とうとう諦めてこのチムニーの雪の孔へ引返したのである。
 チムニーの中に掘ったトンネルは傾斜が急なので、別に水平の孔をチムニーの出口のところへ掘り、やっと二人横になれるほどの大きさに拡げ二組のワカンを敷きザイルを拡げて床を作った。早速コッヘルを使用して食事をとる。吉田君の持ってきた豆の煮たのをコッヘルであたためて食べたがこれがとてもうまかった。いろんな物をコッヘルであたためては鱈腹《たらふく》たべたので、持ってきたものを全部着た上、足は靴をはいたままルックザックの中に入れ、頭を奥にして二人は互いに押し合いながら横になった。
 夜の更けるに従って吹雪はますます勢いをまし、北尾根に当る風の音が物凄く唸り出してきた。そしてトンネルの中もついに吹雪が荒れ狂うようになった。また上の庇からは雪が風と一緒に始終ザーザーと流れ込んできて瞬く間に腰の方まで雪の中へ埋ってしまった。それでも吉田君は気持がよさそうにぐうぐうと鼾《いびき》を立てながら眠っている。吉田君は終日僕を引張り上げるのに苦心をしたためひどく疲れているのに違いない。僕の方は靴のできが悪く、ちょっと寒い日には靴下が一枚は必ず靴へ凍りつくほどだったので、このときも足がつめたくて殆んど眠れずうつらうつらとしていたので吉田君の深い眠りが気にかかり、ときどき吉田君、吉田君と呼んでみた。その度にうーんと返事がある。寒いことはないかと問えば、やっぱりうーんと言っている。全く眠いに違いない。でもあれほどたくさんあたたかい物を食べた後だからどんなに深く眠ったって大丈夫だ。それに寒くないというのだから心配はない。こんなときに眠るまいと努力するのは非常に神経を消耗さすのでよくないと知っていたが、友の身体の状態がわからないので気掛りだったのだが、異状も認めぬので僕も安心して眠ることにした。
 それから数時間は過ぎたと思われるころ、とうとう二人とも寒さのために目が醒めてしまった。まだまだ夜は明けそうにない。コッヘルで熱い奴をこさえてカロリーをとり、もう一眠りしようと思って雪に埋れた道具を掘り始めた。そしてやっとコッヘルは掘り出すことができたけれど、どうしたものかアルコールを入れた缶が見つからない、こうした物は一揃いにし袋に入れておけばよかったと思ったが仕方がない。八方手をわけて探したが無駄であった。このときはさすがにがっかりした。眠れないままこれから先のことについて吉田君と相談する。僕は「尾根にはまだ悪いところがありそうだから吹雪の止むまでここで待つか三、四のコルまで引返そうではないか」というと、吉田君は「もう一晩もこんなところにはいたくない、どんなことがあっても今日中に小屋へ帰ろう、悪いところはみんな自分が頑張るから」と。
 そうだ、この意気だ、この意気があればこそ山登りに成功するのだ。どんな悲境に立とうとも決してこの意気を失ってはならない。世には往々ほんの僅かの苦しみにもたえず、周章狼狽、意気沮喪して敗北しながら、意思の薄弱なのを棚に上げ、山の驚異や退却の困難をとき、適当な時期に引揚げたなどと自讃し、登山に成功したのよりも偉大な如くいう人がある。
 しかし山を征服しようとする我々は、こんな敗軍の将の言葉などにはいささかも耳をかさず、登頂しないうちは倒れてもなおやまないのである。
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厳冬の立山/針ノ木越え

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昭和九年十二月三十一日 曇後雪 八・〇〇千垣 一〇・〇〇―一一・〇〇藤橋ホテル 一・〇〇材木坂上 二・〇〇ブナ坂小屋
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