ある兵庫鷲羽等は飛んで行けそうに近く見え、これらのあいだを越して兵庫大天井すなわち鉢伏山が岡のような顔を見せているし、今きた高原も眼下に白馬と鷲羽から流れてきています。兵庫槍も大きな尾根を東西に引いて雄大に見えます。もちろん扇ノ山は近いので一層大きく雄大な裾野を引いて西へ沈んでいるのは、なかなか深山的です。立山を下って扇ノ山に登りました。ここは鳥取の人が炭焼きにきて少し木を切っていて楽に歩けます。頂上辺で炭焼きの人に逢い、鳥取県からはこの山へ道があると聞きました。扇ノ山の三角点は木が茂っているのと汽車の時間が気になるので、急いだため見つかりませんでした。そしてスズ竹の中を東方へ下って川に出ました。この川も以前の川も溶岩の中を流れています。但馬のスキー場|神鍋山《かんなべやま》と同じ頃か、もっと古い火山でしょう。裾野を見ても火山であったことを思わせます。川を下って行くと五時頃村の人に逢いました。この人は川にミノすなわちレインコートの材料にする草を取りにきていたのです。そして私が、この道のない山に登り、よく出てこられたと感心していました。ここからはすぐ道がありました。村へ下ってもとの道を浜坂へ帰り、午前一時の汽車で故郷を離れました。低い山でも道が無いと苦しいですね、測量した人はなかなか苦心していることがよくわかりました。
[#地から1字上げ](一九二七・五)
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兵庫御嶽―乗鞍―焼登山記
四月二十九日、午前五時十分|智頭《ちず》行の汽車は鳥取を離れて残雪に蔽われた立山と扇ノ山を左に見て、南へ走って行きます。立山が隠れて氷ノ山が、大きな尾根をちょっと見せました。そしてなお奥へ奥へと汽車は走って行きます。西側の山は山吹の花で黄金色に飾られ、下を流れる智頭川は一層綺麗に見えます。六時半頃でしょう、汽車は智頭の町へ止りました。
そして私は自動車でなお二里半ほど奥へ入りました。ここから河鹿の音を聞きながら本谷川を上って行きます。ときどき涼しい風が両側の谷から吹いてきますが、ルックザックの重味と、小春日和のお日様とで汗がにじんできます。鍋ヶ谷の国有林を眺めつつ志戸坂峠へ登りました。そこには兵庫御嶽の前山が目の前に大きく聳えていました。この峠で鳥取県と別れて岡山県へ急に下って行きます。坂根から岩津原というところにきました。この村の人に兵庫御嶽の前山を俚称大海といい
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