れたところがあるが、吉田君がスコップで道をつくってくれたのでなんでもなかった。そこから大多和峠までは地図の通りで、迷うようなこともなかった。峠の上から見た薬師岳はとてもすばらしかった。峠の下りも上の方は面白く辷ることができた。有峰の平には誰もいない大きな家がぽつんぽつんとたっているので馬鹿に淋しかった。西谷の川には橋があったし、東谷の徒歩も意外に簡単だった。真川峠一八〇二メートルの道は地図の通りで、スキーに理想的の尾根だった。峠から真川奥の小屋へ下るには少し右へ巻かねばならぬ。小屋は大きな建物だが半分はこわれていた。僕の寝たところは破れた筵が四、五枚あるだけで随分寒かった。真川には雪橋がところどころかかっていた。太郎平への尾根は下の方で意外に時間を食われた。上ノ岳の小屋は完全に出ていた。この小屋は去年から佐伯八郎様が管理していて、寝具が置いてあるので寒くはなかった。しかし下には雪が少し積っているので偃松のほしてある二階のようなところへあがって寝た。薬師岳は二六〇〇メートルまでスキーで登った。そこから頂上まではアイゼンで雄山の登りよりずっと楽だった。頂上附近にさえ雪庇というほどのものはなかった。スキー・デポからの下りはとても雪がよかった。上ノ岳の三角標石は完全に出ていた。黒部五郎岳の少し手前に小さい岩場があったのでそこでスキーをぬいだ。五郎岳の下りは二六〇〇メートル附近からスキーをつけて左側の谷へ入ったがあまり飛ばなかった。五郎の小屋は完全に出ていた。小屋の附近に気持のよい斜面がたくさんあるが、寝具がないので泊る勇気はでなかった。三俣蓮華岳には二五〇〇メートルまでスキーを使った。蓮華岳の三角標石は露出していた。蓮華の下りは頂上からズーとスキーによかった。蓮華の小屋は雪に埋れていて窓が掘り出せなかったので、壁板を一尺五寸四角ほど破って入った。それで翌日窓を掘り出して後、破ったところを修繕した。道具は全部小屋の中にあった。その後、小屋の主人にこのことを話し弁償する約束をした。また今後窓の上に柱を立てて、それにスコップを掛けておいて下さいとお願いをした。鷲羽岳の登りは雄山の登りより悪かった。鷲羽の三角標石は完全に出ていた。ワリモ岳の岩は西側を巻いた。黒岳には最初ちょっとした岩場があったが、ここは帰りに西側の雪の斜面を巻いてみて雪の方がよいと思った。頂上を過ぎて一つ向いの三角
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