にます」と仰臥した胸の上で合掌しました。其儘暫く瞑目していましたが、さすが眼の内に涙が見えました。それを見ると私は「ああ、可愛想な事を言うた」と思いました。病人は「お母さん、もう何も苦しい事は有りません。この通り平気です。然し、私は恥かしい事を言いました。勇に済みません。この東天下茶屋中を馳け廻って医師を探せなどと無理を言いました。どうぞ赦して下さい」と苦しげな息の下から止ぎれ止ぎれに言って、あとはまた眼を閉じ、ただ荒い息づかいが聞えるばかりでした。どうやらそのまま眠ってゆく様子です。
 やれやれ眠って呉れた、と二昼夜眠らなかった私は今夜こそ一寸でも眠らねばならぬと考えて、毛布にくるまり病人の隣へ横になりましたがちっとも眠れません。ふと私は、一度脈をはかってやろうと思って病人の手を取ってみましたが、脈は何処に打って居るやら、遙か奥の方に打つか打たぬかと思う程で、手の指先一寸程はイヤに冷たく成って居ます。呼吸はと見ると三十位しか無い「はて、おかしいぞ」と思いましたが、瞳孔を見てやろうにも私は眼が悪くてはっきり解りません。「こりゃ、ヒョットすると今晩かも知れぬ、寝て居るどころでは無い」と、
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