臨終まで
梶井久
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)浮腫《うき》だす
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彼は永年病魔と闘いました。何とかしてその病魔を征服しようと努力しました。私も又彼を助けて、共にその病魔を斃そうと勉めましたが、遂に最後の止めを刺されたのであります。
本年二月二十六日の事です。何だか身体の具合が平常と違ってきて熱の出る時間も変り、痰も出ず、その上何処となく息苦しいと言いますから、早速かかりつけの医師を迎えました。その時、医師の言われるには、これは心臓嚢炎といって、心臓の外部の嚢に故障が出来たのですから、一週間も氷で冷せばよくなりますとのことで、昼夜間断なく冷すことにしました。
其の頃は正午前眼を覚しました。寝かせた儘手水を使わせ、朝食をとらせました。朝は大抵牛乳一合にパン四分の一斤位、バターを沢山付けて頂きます。その彼へスープ一合、黄卵三個、肝油球。昼はお粥にさしみ、ほうれん草の様なもの。午後四時の間食には果物、時には駿河屋の夜の梅だとか、風月堂の栗饅頭だとかの注文をします。夕食は朝が遅いから自然とおくれて午後十一時頃になる。此時はオートミルやうどんのスープ煮に黄卵を混ぜたりします。うどんは一寸位に切って居りました。
食事は普通人程の分量は頂きました。お医者様が「偉いナー私より多いがナー」と言われる位で有りました。二十日ばかり心臓を冷やしている間、仕方が無い程気分の悪い日と、また少し気分のよい日もあって、それが次第に楽になり、もう冷やす必要も無いと言うまでになりました。そして、時には手紙の三四通も書く事があり、又肩の凝らぬ読物もして居りました。
耳の敏い事は驚く程で、手紙や号外のはいった音は直ぐ聞きつけて取って呉れとか、広告がはいってもソレ手紙と云う調子です。兎に角お友達から来る手紙を待ちに待った様子で有りました。こんな訳で、内証言は一つも言えませんから、私は医師の宅まで出かけて本当の容態を聴こうと思いました。これは余程思切った事で、若し医師が駄目と言われたら何としようと躊躇しましたが、それでも聞いておく必要は大いにあると思って、決心して診察室へはいりました。医師の言われるには、まだ足に浮腫が来ていないようだから大丈夫だが、若し浮腫がくればもう永くは持たないと言うお話で、一度よく脚を見てあげたいのだが、病人が気にするだろうと思ってそれ
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