が出来にくい、然しいずれは浮腫《うき》だすだろうと言われました。これを聴いた私は、千尋の絶壁からつき落された心持でした。もうすっかり覚悟しなければ成らなくなりました。ああ仕方がない、もうこの上は何でも欲しがるものを皆やりましょう、そして心残りの無いよう看護してやりましょうと思いました。
 此の時分から彼は今まで食べていた毎日の食物に飽きたと言い、バターもいや、さしみや肉類もほうれん草も厭、何か変った物を考えて呉れと言います。走りの野菜をやりましたら大変喜びましたが、これも二日とは続けられません。それで今度はお前から注文しなさいと言えば、西瓜の奈良漬だとか、酢ぐきだとか、不消化なものばかり好んで、六ヶしうお粥をたべさせて貰いましたが、遂に自分から「これは無理ですね、噛むのが辛度《しんど》いのですから、もう流動物ばかりにして下さい」と言いますので、それからはズット流動物にしました。
 三月十七日の朝、眼を覚すと顔が平常の二倍位に成って居ります。私はハッと驚きましたが知らぬ顔をして居ました。すると「お母さん。顔がこんなに腫れました。手も腫れました。眼が充分明けません。一寸鏡を貸して下さい」と言います。その時私は、鏡を見せるのはあまりに不愍と思いましたので、鏡は見ぬ方がよかろうと言いますと、平常ならば「左様ですか」と引っ込んで居る人ではなかったのですが、この時は妙に温しく「止しときましょうか」といって、素直にそれを思いとどめました。
 十八日、浮腫はいよいよひどく、悪寒がたびたび見舞います。そして其の息苦しさは益々目立って来ました。この日から酸素吸入をさせました。そして、彼が度々「何か利尿剤を呑む必要がありましょう、民間薬でもよろしいから調べて下さい」と言いますので、医師に相談しますと、医師はこの病気は心臓と腎臓の間、即ち循環故障であって、いくら呑んでも尿には成らず浮腫になるばかりだから、一日に三合より四合以上呑んではよくないから、水薬の中へ利尿剤を調合して置こうと言って、尿の検査を二回もしましたが、蛋白質は極く少いのです。利尿剤の水薬を呑み出してから、顔と手の浮腫は漸く退いてゆきましたが、脚がはれ出しました。医師が見える度に問答が始まります。
「先生、あなたは暖かくなれば楽になると言われましたが本当ですか。脚が腫れたらもう駄目ではないのでしょうか」
「いいえ、そんなことは
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
梶井 久 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング