やきもの讀本
小野賢一郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)それは茲《ここ》にいふやきものは

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)又|胎土《きぢ》が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)「年表」[#「年表」省略]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ゾロ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」

※欄外の見出しは【】内に表記
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【やきものの歴史】
 やきものゝ歴史は古い、考古學の範圍にはいつてゆくと際限がない、また私のよく話し得るところでない。しかし、やきものが或時代の尖端をいつたものであつて、やきものゝ技を知る人が「瓦博士」などの稱呼で尊敬されてゐた時代のあつたことは確かである。我々は小學校の歴史で、百濟から瓦博士の來たことなど聞いた記憶がある。それが、ずつと後になると時代の流れに乘つて、權力者の保護を受け、氣位高くゐられた時もあれば、一介の勞働者扱ひされて、山間の賤が伏屋に土とロクロと共に起臥して、誰も顧みてくれぬ時代もあつた。
 今や昭和の御代、國運隆々として起り、今まで骨董視され茶人の閑遊具と見られてゐたやきものゝ研究は日を追うて盛んになつてきた。全く今まで閑却されてゐたのが不思議であつたくらゐ。人間生を享けて乳房をはなれると共に茶わんに依つて食を得やうとし、二本の箸を執らうとする。一日三度は切つても切れない茶わんとの縁である。人間の周圍にあるもので、何から一番恩惠を蒙つてゐるかといへば植物だと或る林學博士が云つた。成程人間生活には木材といふものが多分にはいつてゐるであらう。家、机、たんす、膳―等々。鐵、銅等の鑛物等々。だが然し、やきものも亦人間生活に多量に取り入れられてゐることは爭へない。しかも此の燒物と人間との交渉は一種の魅惑力さへ伴つて相交感してゐるに於て――。
 それは建築に心を使ふ人もあらう、着物に凝る人もあらう、しかし、四六時中生活の中にあつて、物質的に大きな犧牲を拂はないで樂しめるもの、やきものに如くはない。と、いへば、萬金の茶入や茶わんのことを持出されるかしれないが、それは本文のかゝはりしらぬことである。私は、これから、やきものに就て私の極めて貧しい知見から何事かを語らうとするのであるが、斷はるまでもなく私一個の考へであつて、決して人に教へやう、導かうなどゝいふ不逞な意圖は持つてゐない。私自身も勉強してみたいから、私の考へてゐることを文字に書き直してみる一つの「勉強」である。
【やきものの見方】
 そこで、やきものを見るにはどういふ方法をとつたらいゝか。斯ういふ事を語るには自ら順序があるであらうが、私は新聞記者であつて、忙中一轉氣のつもりで斯樣なものを書くのであるから、組織立つた記述は出來ないかもしれない。たゞ思ひついたまゝを書きつらねてゆく。
 最後に大切なことを言ひ添へておく、それは茲にいふやきものは釉藥のある燒物の謂ひである。或は支那漢代の瓦器や日本の祝部土器等を例に引用しないとも限らないが、先づ「釉《うはぐすり》のある燒物」を主題にしてゐることをはつきりしておきたい。

   時代

【時代を知ること】
 美術工藝品を見るには時代を知らねばならぬ。これが一番大切なことは誰しも知つてゐるはづだが、實は行はれてゐない。人に依ると器物その物を見さへすればよい。本體を知れば充分だ――といふことを云はれる。或はそれでいゝであらう。しかし其の器物の生れた時代を知ることが出來たならば、其の感興は更に深められやうし、鑑賞點は更に高められるであらう。殊に其の時代の相《すがた》をはつきり知つてゐたならば、其の器物に對しての鑑賞が、一段とはつきりしてきて、其の時代と共に呼吸することが出來る。
 漆工藝が盛んであつた奈良朝から平安期、鎌倉期に入つて漸く起つた燒物が一時暗黒時代ともいふべき或る期間を過ぎてから足利末期より織豐時代、徳川初期と茶道の興るに伴れての發展、殊に況んや朝鮮征伐は「やきもの戰爭」といはれたほどの影響を日本に與へた其後の窯業。――徳川末期以後茶道の墮落に伴ふ燒物の墮落、模傚、似而非風流的技巧、等々。明治維新以來の洋風崇拜と輸出向品の媚態。――斯く觀じ來ると、説くことの餘りに多いのに當惑してしまふ。そこで、史上の概念を得るために「年表」[#「年表」省略]を作つて附録とし、こゝに説くことを省く。
 たゞこゝで云ひたいことは時代を知らなければならぬ、燒物は偶然形が出來て、漫然生れたものではない。必らず時代といふものから生れてゐるといふことを知つてもらひたい。
【足利期の茶道】
 足利期、禪家の僧が茶道に親しむ頃は禪味が何處となく漂ふてゐる。茶わんに茶や飯を盛つて喫するといふことは人生の最大幸福である、といふ報捨の念があつた。從つて茶わんの形にも鉢の形にも其の思念が現はれてゐる。これが桃山期の豪華時代となり、徳川期の變遷する時代々々の相は必ず燒物にも反映してゐる。仁清とか、光悦とか、乾山とか、大きな人物は續々出てゐるが、結局は其の時代の生んだ人物である。時代に反逆したやうに見える人物でも究極は時代の流れに乘つてゐるのである。時代を知るといふこと即ち燒物を知ることであつて、燒物鑑賞上大切な條件である。
【やきものの壽命】
 やきものは人間より壽命が長い。骨破微塵に割れても猶存在してゐる。人間と共に土中に葬られても猶生きてゐる。ことに傳世品に至つては時代々々を經て我々の前に現はれ、史的感興を伴つて、燒物の收めてある袋も、箱も、箱の文字も、箱の紐も、箱に貼つた一枚の紙片と雖も其の生れた時代を物語つてくれる。
【史的標本】
 文化史料は傳世の燒物もたつぷり持つてゐるし、土中にある破片と雖も確實に保有してゐる。器の姿は時代を語り、器の質は生産地を語り、裝飾された文樣は時代の文化を語る――ひつくるめていへば一個の器は過去の文化、交通、民族的交渉――あらゆる方面を考察することの出來る史的標本となる。
[#改頁]

   形

 形――姿。鑑賞の上からいへば形が第一にくる。釉のない土器でも瓦器でも一番に形――姿に惹きつけられる。何よりも先づ形の美くしさが大切である。それは十萬金の茶入であつても、十錢の土瓶であつても。
【時代の生む線】
 この形の線が矢張時代といふものを母胎にもつてゐる。時代が生む線である。たとへば一個の茶わんにしても、支那の宋代に生れ、日本の鎌倉期に渡つたもの、または夫れを摸作したもの、それが禪家喫茶の用になつてゐたのが、茶の湯に使はれ次第に庶民階級の日常雜器になつてきた。その推移をみると明かに初めは天目茶※[#「※」は「上が「夕+ふしづくり」+下が「皿」」、第3水準1−88−72、読みは「わん」、11−2]の形だつたのが變化していつて、時代々々の用途に適ふやうになつてゐる。一個の湯呑にしても今日のやうに湯呑として初めから造られたものかどうか分らない。向附だつたのが離れて筒茶わんとして使はれてゐるのがあるし、又狂言袴といはれる手のやうに筒形の象嵌青磁もあるが、初めから今日のやうに筒茶※[#「※」は「上が「夕+ふしづくり」+下が「皿」」、第3水準1−88−72、読みは「わん」、11−7]を目的として造られたものかどうか――これとて何かの器物だつたのが、用途において轉用されたのかもしれない。要するに日常雜器の所謂安物とて一朝一夕に生れてきたものではない。
【土瓶の葢】
 とにかく、器物の形の發達だけみても面白いものだが、その形が時代を背景にしてゐるといふことを必らず念頭に置いて居れば、十錢の古土瓶をみても、一個の土瓶の葢《ふた》だけ見ても興味が湧くのである。※[#「※」は「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28、12−4]畫(B)圖[#「B圖」省略]は土瓶か壺かの葢に造られたものであらうが、出來が惡かつたとみえて捨てられてゐた。それを古窯發掘の際掘出したものである。この葢一枚に就てみても形のおもしろさはたつぷりある。第一葢をロクロで挽いて、それにうねり[#「うねり」に傍点]をつけ、つまみ[#「つまみ」に傍点]をつけてゐる。このつまみ[#「つまみ」に傍点]一つでも今日の人が平氣で手輕につけるわけにはゆかないほどいゝものである。それを昔の人は平氣で樂に大量につけたのであらう。壺に耳をつけるのでも力のある耳と氣の拔けた耳とあるやうに、簡單なつまみ[#「つまみ」に傍点]一つだけでもうまさ、まづさがある。次いで此の葢の裏を返してみるがいゝ、こゝは高臺を削るのと同じやうに削つてあるが、其の削り方の親切さ、飽くまで深く、ロクロの働きも充分であつて、恰かも宋代のやきものゝ高臺をみるやうな氣がする。土の中から掘り出された一枚の葢でも此の通り見樣に依つては興趣無限、迚も私の筆の及ぶところでない。况んや成器をや。
【糸切】
 以上、葢の形のみについていつたが、我々はこんな一寸したものでも充分樂しめる。是等の葢は萬金の茶入や、水指や、茶わんと共に生産されたものである。それが一は傳世品となつて金殿玉樓の奧に納まり、一は幾百の春秋を雜草の下に埋つてゐたに過ぎない。破片にしても斯くの通りである。所謂名器とても裸にしてしまへば變りはない。破片の糸切のよさも、萬金の茶入の糸切のよさも同じである。こゝに※[#「※」は「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28、14−5]畫(B圖)[#「B圖」省略]を添へておく。この糸切は水滴や、小壺や、皿の高臺のあたりの破片である。いかに凄い糸切であるか、いかに巧みな糸底であるか、いかなる大名物、名物の茶入と比較されても遜色はないと信ずるほどの「良さ」を看取さるゝであらう。
【線の認識】
 話が、つい糸底に落ちてしまつたが、實は形の全貌に及んでゐなかつた。が、然し私が改めて形に就て細かい説明を用ゐる必要はあるまい。線の運動に注意すればよく分ることである。口つくり、肩、肩から腰へ落るふくらみ、又は反り、高臺、この線の流れは器物を優しくも強くもみせる。又嚴肅にも瀟洒にもみせる。均齊の美、不均齊の中にも均齊のある美。これが姿の美であるが、此の姿を構成する線の美を認識することの程度に依つて、その人の鑑賞眼の標凖が定まる。
 すなはち、小さな形の茶わんでも大空を呑むやうな大きさを感ぜしめらるゝ線をもつ物もある。また大きな茶わんでも、ちま/\として如何にも窮屈な感じを與へらるゝ茶わんもある。そこに線の働きの大と小と、強と弱と、冷と熱とがある。
 線といつても、平面ではない、立體的にみた線の謂ひである。我々は形の美しさは線の認識如何に依つて深くも淺くもなる――その線の認識といふことは何であるか。かうなつてくると、やかましい議論になるが、結局は線の放射する暗示を受け入れるだけの素質と精神活動と知識の再生によるのではあるまいか。鑑賞するに個性が出てくる、從つて蒐集品にも個性が窺へるといふところに、其人々々の感覺と知識とが出てゐるのではあるまいか。
 われら萬金の價を以て、よき器物を購ひ得ないことは口惜しいとは思はないでいゝ。われらには割れてゐるこの土瓶の葢一個でも無限の興趣を以て味ひ得る材料を天が與へてくれてゐる。それは葢であらうと、貧乏徳利であらうと、油皿、鰊皿であらうと、土瓶、どんぶり、片口、小鉢の類であらうと、そこに時代から生れた姿があれば先づ鑑賞の第一歩が惠まれるのである。
[#改頁]

   釉

【釉】
 形が出來た上を裝飾するものは、文樣であり釉である。文樣は土器時代から繩文土器など名づけらるゝやうに色々の文樣がつけられてゐる。また文樣を瓦器に彩色したのもある。漢代の瓦器などに今日でも見受けることが出來る。しかし、やきものは釉に依つて先づ裝飾されてゐる。この釉《うはぐすり》の感じで、器物をわれらに親しませてくれる。釉は形の出來た上を更に美くしくしてくれて、器
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