、小壺や、皿の高臺のあたりの破片である。いかに凄い糸切であるか、いかに巧みな糸底であるか、いかなる大名物、名物の茶入と比較されても遜色はないと信ずるほどの「良さ」を看取さるゝであらう。
【線の認識】
 話が、つい糸底に落ちてしまつたが、實は形の全貌に及んでゐなかつた。が、然し私が改めて形に就て細かい説明を用ゐる必要はあるまい。線の運動に注意すればよく分ることである。口つくり、肩、肩から腰へ落るふくらみ、又は反り、高臺、この線の流れは器物を優しくも強くもみせる。又嚴肅にも瀟洒にもみせる。均齊の美、不均齊の中にも均齊のある美。これが姿の美であるが、此の姿を構成する線の美を認識することの程度に依つて、その人の鑑賞眼の標凖が定まる。
 すなはち、小さな形の茶わんでも大空を呑むやうな大きさを感ぜしめらるゝ線をもつ物もある。また大きな茶わんでも、ちま/\として如何にも窮屈な感じを與へらるゝ茶わんもある。そこに線の働きの大と小と、強と弱と、冷と熱とがある。
 線といつても、平面ではない、立體的にみた線の謂ひである。我々は形の美しさは線の認識如何に依つて深くも淺くもなる――その線の認識といふことは何で
前へ 次へ
全50ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小野 賢一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング