明器といふのは貴人の墓に葬つた所謂副葬品であつて、人物もいろ/\あり、動物その他の彫刻としての姿態、感じが實によく纏まつてゐる。正倉院の樹下美人屏風と同じやうな美人像を多く見ることが出來る。
 正倉院の話が出たから序にいつておくが、正倉院に唐三彩風の鉢類の燒物が多數ある。これは支那唐代に渡來したものとされてゐたが中尾萬三博士は日本製なりと斷定され、その多くの考證的材料を綜合斷定されてゐる。奈良の大佛を鑄造するほどの天平人が軟陶の三彩を燒くことが出來なかつたなどといふことはないと、博士は各種の實證を擧げられてゐる。
 唐三彩の日本へ來た數は夥しい。皆墓墳から發掘されたものである、贋物がないとも限らないから心して信用ある店と取引するがいゝ。

     〔青磁〕

 支那宋代は陶磁の黄金時代である。又名品を盛んに生んで心にくいほど我等の心を摶つ。技巧ばかりでなく内容的にも亦やきものゝ見えざる量といふものをもつてゐる。
 誰しも先づ青磁をいふ。私の好みからいへば青磁以外の宋代の物を好むが、いゝ青磁になると堪らない。その代り迚も我等の手に入り兼る代價である。
 支那人は青磁の色を好んだ、當時の
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