と同じやうに、われらも亦一枚の銀貨を以て千金の樂しみと同樣の樂しみを享受することが出來るのではあるまいか。否われらの銀貨や少額の紙幣は身を殺ぐ思ひをして投ずるのであつて無雜作に小切手にサインして拂ふ人達と代を拂ふといふ氣持がちがつてゐる。それだけ、眞劒であるだけ、樂しみも亦深く永いと思ふ。
 要は視野の限界である。而も視野の焦點にかゞやく心眼こそは常に磨きをかけておかねばならぬ。器物の表面ばかりでなく、器物の包含するところの内容を見ぬくには心眼も亦内容をもつてゐなければならぬ。こちらが空しき目であつては對象の内容までを見透すことは出來ない。然らば、その心眼に内容を盛るには、どうすればよいか、それは自づから人に依つて夫々の考へ方があるであらう。また前に述べた點に就て考へらるゝ方もあるであらう。私も亦心眼常に曇つて朗かでない。大いに力めねばならぬと期してゐる。
 良き物を見る事、良き事を知ること。さうして、個々の心眼の認識の程度如何が最後の決定をするのではあるまいか。
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   樂しみを謠ふ

     鴛鴦の水滴

瀬戸の山から ノウヱ
をしどり一羽飛んで來た
片羽黄いろに染め
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