しみは豐富である。
そこで、大切なことを一つ加へる。
【半面の眞理】
それは「得よ」といふことである。求めるといふこと、買ふのもよく、人のを讓つて貰ふのもよい。よく「買つてみないと本當なことは分らない[#「分らない」は底本では「分らないとい」と誤記]」といふ、これを賤しい言葉と卑しむ人があるが半面の眞理はあるのだ。自分のもつてゐる金なり品物を手放して、其の物を手に入れてみるといふことが必要だ。必要だといふより燒物がわかるのに近道である。所謂痛い思ひをして身錢を切つて買つてみると、それが良かつたにしろ惡い物であつたにしろ、燒物がわかるといふ上には非常の影響がある。藝術といふものは、そんなものではないと笑ふ人があるかしれないが、他人の者を見て歩くだけの人と、自分の物にしやうといふ――慾心と考へちやいけない、自分の物にしやうといふ愛着心は、どれほど器物を理解する上に知見を早めるかしれない。
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價
斯う話してまゐりますと結局値といふことになる。この價といふこと、掘出しといふこと、イカモノを掴んだといふこと、よく人の口にのぼる話題であるが、さう詳しく説く必要はあるまい。
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