簡單にいへば、土燒は攝氏千度以下で燒いたもので吸水性をもつてゐるもの、カワラケ、カワラ等の如き考古學の所謂土器。陶器は千度以上千二三百度で燒いた釉藥のあるもの、吸水性があるが窯との關係の變化がおもしろいもの、日本の御國燒には陶器が多い、支那の磁州窯(繪高麗)や朝鮮の刷毛目、三島手等も此の内へ入れられるであらう。燒しめは陶器よりやゝ高熱度の不吸水性のもの――といつても胎土が粗で水がしみ出ることはある、備前、常滑、所謂南蠻系統のもの。磁器は透明度があり釉藥があつて水を吸はない、九谷、伊萬里、支那の染付、青磁等種類は多い。まあ、こんな程度の區別で大體は片づくと思ふ。

   支那

     〔唐三彩〕

 釉藥の正體は支那唐代ではつきりつかんで裝飾を施した、所謂唐三彩がさうである。壺にしても龍頭壺など稱するものにはいろ/\の裝飾がしてある、型で押した文樣を貼付けた上から釉をかけたものもある、青、飴、白、コバルト、いろ/\の釉がいろ/\の手法に依つて裝飾されてゐる。日本の正倉院にある染織物の文樣や手法と似通ふてゐるなど彼我文化の通交も考へられておもしろい。また明器が盛んにつくられてゐる、明器といふのは貴人の墓に葬つた所謂副葬品であつて、人物もいろ/\あり、動物その他の彫刻としての姿態、感じが實によく纏まつてゐる。正倉院の樹下美人屏風と同じやうな美人像を多く見ることが出來る。
 正倉院の話が出たから序にいつておくが、正倉院に唐三彩風の鉢類の燒物が多數ある。これは支那唐代に渡來したものとされてゐたが中尾萬三博士は日本製なりと斷定され、その多くの考證的材料を綜合斷定されてゐる。奈良の大佛を鑄造するほどの天平人が軟陶の三彩を燒くことが出來なかつたなどといふことはないと、博士は各種の實證を擧げられてゐる。
 唐三彩の日本へ來た數は夥しい。皆墓墳から發掘されたものである、贋物がないとも限らないから心して信用ある店と取引するがいゝ。

     〔青磁〕

 支那宋代は陶磁の黄金時代である。又名品を盛んに生んで心にくいほど我等の心を摶つ。技巧ばかりでなく内容的にも亦やきものゝ見えざる量といふものをもつてゐる。
 誰しも先づ青磁をいふ。私の好みからいへば青磁以外の宋代の物を好むが、いゝ青磁になると堪らない。その代り迚も我等の手に入り兼る代價である。
 支那人は青磁の色を好んだ、當時の
前へ 次へ
全25ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小野 賢一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング