染になつて、私がいたづら描きをしてゐると傍に來て見るやうになつた。
「お婆さん、梅の繪を描いてお見せよ」
 さうたのむと「まづいけど――」と云ひながら書く。
 お婆さんはカーブのある器物に描かせると上手だが紙に描かせると調子を失ふ。
 五十年も六十年も土にばかり飽きずに描いてゐたゝめ、紙のやうな平面なものには描きづらいと見える。
「頬冠り梅を描かうかなあ」と云ひながら「そうれ頬冠り、これで梅だよ。梅の木の下へ蘭よ、これ蘭の花よ」と描く。
 梅の半開したのが人間が頬冠りしたやうに見えるのだ。昔の文人趣味かどうかしらないが昔の人は澁かつた――
 梅の木の根に蘭の花を描く圖案を庶民用の土瓶にくツつけた――
 窓繪といふ。何だ――
 佐久間藤太郎君の話「窓繪土瓶は益子の名物だつたが、今ぢや出來ません。先日註文があつたから少し造りましたがね。むづかしいのですよ、窓繪は――土瓶の胴へ白土を丸くつけてそこへ山水、花鳥繪が現はれるのですが、そのまン圓いのがむづかしい。何故ツて、土瓶を造るでせう、さうして白土のどろ/\した中へ浸す、そうれ――丸い胴を白い汁へ浸すから、汁に浸つた周圍は丸くなるわけですな。それが窓なんですよ。だからロクロの挽き方が下手で、土瓶が正しい形をしてゐないと窓がいびつになつたり楕圓になつてしまひますからね。だから、むづかしいのですよ。土瓶のやうな安物を正しくこしらへて、いゝ窓繪をのこした昔の人の腕はゑらいですね。」
 窓繪、窓繪――
 十錢か二十錢の土瓶にも名器を造る腕の冴えを必要とする。土紙[#「土紙」は「土瓶」の誤記か]にも見どころがある、味ひは無限だ、正しい土瓶の形、あの胴のふくらみ、双の耳がしつかりしてゐるか、口がよくついてゐるか、口の形がいゝか、口から湯が漏るやうなことはないか、土瓶の葢《ふた》の形、つまみの形――さうして、大いにさうして、耳に蔓《つる》をつけて、完成した土瓶の形は安定してゐるか。
 日に干されて、火に燒かれて而して此の安全[#「安全」は「完全」の誤記か]をのぞまるゝ土瓶である。
 金――錢を謂ふ勿れ。
[#改頁]

 燒物一夕話

   區別

 科學的の分け方もありますが、私どもは簡單に土燒、燒しめ、石燒位の言葉で現はしてゐる。燒しめには※[#「※」は「火へん+石」、第4水準2−79−64、78−4]器などいふ字を使ふ物しりもある。
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