無限の愛著を感じ、手で捧げて以て無上敬親の念を生ずる。これ燒物を玩讀するの必要條件である。「手を觸る可からず」ではない、「大いに手を觸る可し」であらねばならぬ。

   土味

 青磁でも宋代の青磁には胎土を見せたものが多い。また全然胎土を見せないものも多く燒かれてゐる。支那宋代に出來た陶は明時代の磁(染付赤繪)[#括弧内は「染付」と「赤繪」の二行になっている]を別にして、支那やきもの界の最も藝術的な又現代日本人の性質にぴつたりくるものゝ出來た時代である。作風颯爽としてゐる、さうして土味を實によく見せてくれてゐる。心憎いばかりうまい。
 朝鮮、日本、各種各樣の燒物も亦土味を多分にみせてゐる。朝鮮とても南方と北方と中央との土味がちがひ、日本でも無論國々によつて、窯々によつて土味がちがふ。この土味といふことは地方色を味ひわけるに一番動きのない標準である。
 土の味ひといふ――一寸むづかしい。が、先づ土を知るといふことが大切だ。その昔陶人は袋を肩にして國々山々丘々の土を漁り歩いたであらう、袋に拾ひ込んだ土を水に漬したり燒いてみたり、さま/\の苦心を重ねたであらう。陶人はそれ/″\一つの夢をもつてゐたにちがひない、その夢に近い燒物を造るに適した土を探し求めるといふことが一番大切であつたらう、さうして自分の狙つてゐる釉藥がぴつたり土と合つてくれるかどうか、陶人達は窯場をこしらへるために、土を求め、水の流れを探し、燃料の樹木を考へて、總べての條件がどうにか調子がとれるところに始めて行李を下す。それから窯が開けてゆく――が、しかし一概に之れだけで片付けられない。今日では交通の便が開けてゐるから自分の欲する土を欲する場所に運ばせることが出來るが、昔はそれが出來なかつたゝめ、多く土味に依つて概略の地方の分け方は出來ると考へられてゐた。又實際さうであつた。しかし大名といふ權力者がゐて、これが舟などを利用し自分の勢力圈内の土は移動させるのは無論、又他藩へ工人をしのばせたり、他藩の土をわけてもらつたりして、造つてゐるものがないでもなかつた。だから、一概に土が定まれば其土地の産としていゝといふ事を斷言して了ふわけにはゆかないが、まづ大あらまし土を知ることが出來、ついで釉藥がわかりまた手法の變り目がわかつてくると、一個の燒物の誕生がはつきりして面白くなつてくる。
【手法】
 土味といふ――土を
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