知り土の味はひをしる。大切なことだ。
今、手法といふことをいつたが、朝鮮の手法が日本に入れられたことは既にいつた。同じ高臺のつくり方でも朝鮮の高臺削りが九州の窯々にひどく影響してゐる、肥前の土燒類など最も顯著である、長州の萩にも丹波の古いところにも朝鮮の系統が流れてゐる。これは多くの器物について高臺をよく見てゆけば自づから會得することが出來る。瀬戸系統の古窯から出土する極めて古い時代の破片に、支那宋代の高臺をみるが如き感を與へらるゝものが多い如き。
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歪
不の字と正の字をくツつけて「ゆがむ」といふ字になる。
やきものは正しい形を造つても乾かすうちに歪みがくる、素燒で又狂ひがくる、藥をかけて燒きあげると又多少の歪みが出る。大さに於てロクロで挽いた時より約二割方小さくなつてくる。若し共に燒く他の器のため押されたり、火の強弱變化のために、窯の中でも歪んだり、いびつ[#「いびつ」に傍点]になつたり、凹んだり、はぢけたりする。これを自然のゆがみといひたい。
昔の人は、この自然のゆがみが一種の景色をつくり風情を添へることに興をもつて、さま/″\な銘をつけたり、因縁をつけたりしたものである。ところが、時代が惡くなり、趣味好尚が墮落するにつれて、是等の自然のゆがみを曲解して、器物のどこかに歪んだ景色がないと承知しなくなつた。さうして御苦勞にもロクロの時から故意に歪ませたり、凹ませたり、いびつにしたり、不自然なでこぼこをつけるやうになつた。この惡趣味は、獨り茶器ばかりでなく、各方面に及んだことは、時代の所爲《せゐ》で致し方なしとしても、工藝品に及ぼした影響はひどかつた人爲的な歪められた燒物を今日まで猶われらは目にしなければならぬ。假りに人爲的に歪められた物を月並風流といふならば、明治、大正を通じ、昭和の今日も猶月並な所謂風流がつた作品に接するの何と多さよ、と慨かるゝ。
古いものに良い品があるといふことは正しいものが多く又變つたものでも自然な歪みのあるものがあるからで、徳川中期以後の不自然な意識的なでこぼこ風流を知らないからである。即ちやきものの生れる時代がよかつたし、あらゆる條件がよかつたからである。
徳川中期――殊に化政以後の燒物は皆が皆惡いといふのではない。木米の如き頴川の如き京都だけ考へても名工が輩出してゐるが、是等の名工は時代の流れに押されてへ
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