暖自知《れいだんじち》」してもらうより他はないと思います。私はこのころ、真実のことを云おうとすればする程、言葉というものが如何に不完全なものかということを感じて来ました。評論や記事などを書く場合にだけしか言葉というものは役に立たないものだと思いました。)
 私の最後の言葉をも一度繰り返したい。「大きく眼を開いてこの時代を見よ」と。真に時代を洞見するならば、もはや人を羨む必要もなく、また我が家の不幸を嘆くにも当らないであろう。時代を見、時代の理解に徹して行ってくれることは、私の心に最も近づいてくれる所以《ゆえん》なのだ、これこそは私に対する最大の供養であると、どうぞお伝え下さい。
 この私の切なる叫びが幾分でも妻子の心にとどくならば私は以て瞑します。これ以上何の喜びがありましょう。(このこともまた私の死後機会を見て先生からよく了解の行くようにお話し下さい。今いえばただ私の身勝手に過ぎず、妻子をいたずらにつき放して一人うそぶいているように思われるおそれがありますから。)
 そうはいうものの私は心から妻に対して感謝しております。そうして「心からお気の毒であったと思っている」とお伝え下さい。一
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