暖自知《れいだんじち》」してもらうより他はないと思います。私はこのころ、真実のことを云おうとすればする程、言葉というものが如何に不完全なものかということを感じて来ました。評論や記事などを書く場合にだけしか言葉というものは役に立たないものだと思いました。)
 私の最後の言葉をも一度繰り返したい。「大きく眼を開いてこの時代を見よ」と。真に時代を洞見するならば、もはや人を羨む必要もなく、また我が家の不幸を嘆くにも当らないであろう。時代を見、時代の理解に徹して行ってくれることは、私の心に最も近づいてくれる所以《ゆえん》なのだ、これこそは私に対する最大の供養であると、どうぞお伝え下さい。
 この私の切なる叫びが幾分でも妻子の心にとどくならば私は以て瞑します。これ以上何の喜びがありましょう。(このこともまた私の死後機会を見て先生からよく了解の行くようにお話し下さい。今いえばただ私の身勝手に過ぎず、妻子をいたずらにつき放して一人うそぶいているように思われるおそれがありますから。)
 そうはいうものの私は心から妻に対して感謝しております。そうして「心からお気の毒であったと思っている」とお伝え下さい。一徹な理想家というものと、たまたま地上で縁を結んだ不幸だとあきらめてもらう他ありません。
 平野検事のお心づくしも有難う存じました。先生からどうぞよろしくお伝え下さい。なお同検事は御存知のことと存じますが、私は目下ここの所長さんの御好意によって自由な感想録を書かしていただいています。これは門外永久不出で単に所長さんにだけ読んでいただく、それも私の生前にはお目にかけないということにして御諒解を願っております。従ってそれはただ私のたのしみのために書いているようなものであります。いわば大波の来る前に砂浜の上に書いた文字のようなものであります。ただ私の態度は湖水の静かな水のようにその上を去来する白雲や時には乱雲や鳥の影や、また樹影やらを去来のままに映し来り映し去って行きたいと思っています。世界観あり、哲学あり、宗教観あり、文芸批評あり、時評あり、慨世あり、経綸あり、論策あり、身辺雑感あり、過去の追憶あり、といった有様で、よく読んでいただけば何かの参考にはなろうかと思っております。併しもとよりそれを目的に書いているのではありません。ただこれは先生に私がこんなものを物しているということだけを知ってお
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 秀実 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング