からまだ二年ばかりにもならぬのであるが、近ごろメッキリ得意も附いて、近辺の大店《おおたな》向きやお屋敷方へも手広く出入りをするので、町内の同業者からはとんだ商売|敵《がたき》にされて、何のあいつが吉新なものか、煮ても焼いても食えねえ悪新だなぞと蔭口《かげぐち》を叩《たた》く者もある。
 けれど、その実吉新の主《あるじ》の新造というのは、そんな悪《わる》でもなければ善人でもない平凡な商人で、わずかの間にそうして店をし出したのも、単に資本《もとで》が充分なという点と、それに連れてよそよりは代物をよく値を安くしたからに過ぎぬので、親父《おやじ》は新五郎といって、今でもやっぱり佃島に同じ吉新という名で魚屋をしていて、これは佃での大店である。
 で、店は繁昌するし、後立てはシッカリしているし、おまけに上さんは美しいし、このまま行けば天下泰平吉新万歳であるが、さてどうも娑婆《しゃば》のことはそう一から十まで註文《ちゅうもん》通りには填《は》まらぬもので、この二三箇月前から主はブラブラ病《わずら》いついて、最初は医者も流行感冒《はやりかぜ》の重いくらいに見立てていたのが、近ごろようよう腎臓病と分った
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