《いちょう》返しに結って、伊勢崎の襟のかかった着物に、黒繻子《くろじゅす》と変り八反の昼夜帯、米琉《よねりゅう》の羽織を少し抜《ぬ》き衣紋《えもん》に被《はお》っている。
 男はキュウと盃《さかずき》を干して、「さあお光さん、一つ上げよう」
「まあ私は……それよりもお酌《しゃく》しましょう」
「おっと、零《こぼ》れる零れる。何《なん》しろこうしてお光さんのお酌で飲むのも三年振りだからな。あれはいつだったっけ、何でも俺《おれ》が船へ乗り込む二三日前だった、お前《めえ》のところへ暇乞《いとまご》いに行ったら、お前の父《ちゃん》が恐ろしく景気つけてくれて、そら、白痘痕《しろあばた》のある何とかいう清元の師匠が来るやら、夜一夜《よッぴて》大騒ぎをやらかしたあげく、父がしまいにステテコを踊り出した。ね、酔ってるものだからヒョロヒョロして、あの大きな体《からだ》を三味線の上へ尻餅《しりもち》突いて、三味線の棹《さお》は折れる、清元の師匠はいい年して泣き出す、あの時の様子ったらなかったぜ、俺《おら》は今だに目に残ってる……だが、あんな元気のよかった父が死んだとは、何だか夢のようで本当にゃならねえ、一
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