お光の辞をどう取ったのか、金之助は心持ち顔を赤めて、「馬鹿な! そんな何が、ある理屈はねえけれど……どうもこう、見たところこんなおとなし作りの娘を、船乗りの暴《あば》れ者の女房にゃ可哀そうのようでね」
「だって、先方《さき》が承知でぜひ行きたいと言うんだもの」
「ははは、あんまりそうでもあるめえて、ねえ新さん」
「ところが、先方のお母なぞと来たら、大乗り気だそうだから、どうだね金さん、一つ真面目《まじめ》に考えて見なすったら?」と新造は大真面目なので。
「ええ、そうですね」と金之助も始めて真剣らしく、「じゃ、私もよく一つ考えて見ましょうよ」
「だが金さん、その写真は気に入ったか入らないか……まあさ、それだけお聞かせなね」
「どうもこう詰開きにされちゃ驚くね。そりゃ縹致はこれなら申し分はねえが……」
「縹致は申し分ないが、ほかに何か申し分が……」
「まあま、お光さん、とにかく一つ考えさせてもらわなけりゃ……何しろまだ家もねえような始末だから、女房を貰うにしても、さしあたり寝さすところから拵《こしら》えてかからねえじゃならねえんだからね」
三
「実は、この間うちからどうもそんなような徴候が見えたから、あらかじめ御注意はしておいたのだが、今日のようじゃもう疑いなく尿毒性で……どうも尿毒性となると、普通の腎臓病と違ってきわめて危険な重症だから……どうです、お上《かみ》さん、もう一人誰かほかの医者にお見せなすったら。もしそれで、私の見立てが違っていたらこれに越したことはない」
二三日来急に容体の変って来た新造の病気を診察した後で、医者は二階から下りてこうお光に言ったのである。なるほど素人目《しろうとめ》にも、この二三日の容体はさすがに気遣《きづか》われたのであるが、日ごろ腎臓病なるものは必ず全治するものと妄信していたお光の、このゆゆしげな医者の言い草に、思わず色を変えて太胸《とむね》を突いた。
「まあ! じゃその尿毒性とやらになりますと、もうむずかしいんでございますか?」
「だが、私《わし》の見立て違いかも知れんから、も一人誰かにお見せなさい」
「はい、それは見せますにしましても、先生のお見立てではもう……」
「そうです。もう疑いなく尿毒性と診断したんです! しかしほかの医者は、どうまた違った意見があるかも分りません」
「それで何でございましょうか、先生のお見立て通りでございましたら……あの、尿毒性とやら申すのでございましたら……」とお光はもうオロオロしている。
「尿毒性であると、よほどこれは危険で……お上さん、私は気安めを言うのはかえって不深切と思うから、本当のことを言って上げるが、もし尿毒性に違いないとすると、まずむずかしいものと思わねばなりませんぞ!」
「…………」
「とにかく、ほかの医者にも見ておもらいなさい、私ももう二三日経過を見て見るから」
「はい」
「今日から薬が少し変るから、そのつもりで」
「はい」
医者は帰った。お光は送り出しておいて、茶の間に帰るとそのままバッタリ長火鉢の前にくずおれたが、目は一杯に涙を湛《たた》えた。頬に流れ落ちる滴《しずく》を拭《ぬぐ》いもやらずに、頤《あご》を襟《えり》に埋めたまま、いつまでもいつまでもじッと考え込んでいたが、ふと二階の呻《うな》り声に気がついて、ようやく力ない体を起したのであった。が、階子段の下まで行くと、胸は迫って、涙はハラハラととめどなく堰《せ》き上《あ》ぐるので、顔を抑《おさ》えて火鉢の前へ引っ返したのである。
で、小僧を呼んで、「店は私が見てるからね、お前少し二階へ行って、親方の傍についておいでな」
「へい、ただついてりゃいいんですか?」
「そんなこと聞かなくたって……親方がさすってくれと言ったらさすって上げるんじゃないか」
「へい。ですが、こないだ腫《むく》んでた皮を赤剥けにして、親方に譴《しか》られましたもの……」と渋くったが、見ると、お上さんは目を真赤に泣き腫《は》らしているので、小僧は何と思ったか、ひどく済まないような顔をしてコソコソと二階へ上って行く。
「医者のあの口振りじゃ、九分九厘むつかしそうなんだが……全くそんなんだろうか」と情なさそうに独言《ひとりご》ちて、お光は目を拭った。
ところへ、「郵便!」と言う声が店に聞えて立ったが、自分の泣き顔に気がついて出るのはためらった。
「吉田さん、郵便!」
「はい」
「ここへ置きますよ」
配達夫の立ち去った後で、お光はようやく店に出て、框際《かまちぎわ》の端書を拾って茶の間へ帰ったが、見ると自分の名宛で、差出人はかのお仙ちゃんなるその娘《こ》の母親。文言《もんごん》は例のお話の縁談について、明日ちょっとお伺いしたいが、お差支えはないかとの問合せで、配達が遅れたものと見え、日附は昨日の出である。
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