注《つ》ごう」
女も今度は素直に盃を受けて、「そうですか、じゃ一つ頂戴しましょう。チョンボリ、ほんの真似《まね》だけにしといておくんなさいよ」
「何だい卑怯なことを、お前も父《ちゃん》の子じゃねえか」
「だって、女の飲んだくれはあんまりドッとしないからね」
「なあに、人はドッとしなくっても、俺はちょいとこう、目の縁を赤くして端唄《はうた》でも転《ころ》がすようなのが好きだ」
「おや、御馳走様! どこかのお惚気《のろけ》なんだね」
「そうおい、逸《はぐ》らかしちゃいけねえ。俺は真剣事《しんけんこ》でお光さんに言ってるんだぜ」
「私に言ってるのならお生憎様《あいにくさま》。そりゃお酒を飲んだら赤くはなろうけど、端唄を転がすなんて、そんな意気な真似はお光さんの格《がら》にないんだから」
「あんまりそうでもなかろうぜ。忘れもしねえが、何でもあれは清元の師匠の花見の時だっけ、飛鳥山《あすかやま》の茶店で多勢《おおぜい》芸者や落語家《はなしか》を連れた一巻《いちまき》と落ち合って、向うがからかい半分に無理|強《じ》いした酒に、お前は恐ろしく酔ってしまって、それでも負けん気で『江戸桜』か何か唄って皆をアッと言わせた、ね、覚えてるだろう」
「そうそう、そんなことがあったっけね。あれはこうと、私が十九の春だっけ。あのころは随分私もお転婆だったが……ああ、もうあのころのような面白いことは二度とないねえ!」としみじみ言って、女はそぞろに過ぎ去った自分の春を懐《なつ》かしむよう。
「ははは、何だか馬鹿に年寄り染《じ》みたことを言うじゃねえか。お光さんなんざまだ女の盛りなんだもの、本当の面白いことはこれからさ」
「いいえ、もうこんな年になっちゃだめだよ。そりゃ男はね、三十が四十でも気の持ちよう一つで、いつまでも若くていられるけど、女は全く意気地がありませんよ。第一、傍《はた》がそういつまでも若い気じゃ置かせないからね。だから意気地がないというより、女はつまり男に比べて割が悪いのさね」
「いけねえいけねえ、じきどうも話が理に落ちて……」と男は手酌でグッと一つ干して、「時に、聞くのを忘れてたが、お光さんはそれで、今はどこにいるの、家は?」
「私?」女はちょっと言い渋ったが、「今いるとこはやっぱり深川なの」
「深川は分ってるが、町は?」
「町は清住町、永代《えいたい》のじき傍《そば》さ」
「そう
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