んだと思いまして……いえね、金さんの方じゃ知んなさらねえようだが、私ゃ以前あの人の家のじき近所に小僧をしていて、あの人のことはよく知ってますのさ」
「そう、いつごろのこと?」
「そうですね、もう四五年前のことでしょう、お上さんがまだ島田なんぞ結《い》ってなすったころで」
「へえい、じゃ私のこともそのころ知ってて?」
「ええ、お上さんのことはそんなによく知りませんが、でも寄席《よせ》へなぞ金さんと一緒に来てなすって、あれがお光さんという清元の上手な娘《こ》だって、友達から聞いたことはありますんで……金さんも何でしょう、昔馴染《むかしなじ》みてえので、今でもお上さんが他人のようにゃ思えねえんでしょう」とニヤリ歯を見せて笑う。
 お光はサッと顔を赤くしたが、「つまらないことをお言いでないよ! 昔馴染みだとか、他人のように思えないだとか、何か私と厭らしいことでもあったようで、人聞きが悪いじゃないか」
「へへ、誰も人は聞いてやしませんから大丈夫でさ」
「あれ、まだこの人はあんなことを言って! 金さんと私とは、娘の時からの知合いというだけで――それは親同士が近しく暮らしてたものだから、お互いに行ったり来たり、随分一緒にもなって同胞《きょうだい》のようにしてたけど……してたというだけで、ただそれだけのものじゃないか、お前さんもよっぽど廻り気の人だね」
「へへ、そうですかね」と為さんは例のニヤリとして、「私もどうか金さんのような同胞に、一度でいいから扱われて見てえもんですね」
「じゃ、金さんの弟分にでもなるさ」と言い捨てて、お光はつと火鉢を離れて二階へ行こうとすると、この時ちょうど店先へガラガラと俥《くるま》が留った。
 俥を下りたのは六十近くの品のいい媼《ばあ》さんで、車夫に銭を払って店へ入ると、為さんに、「あの、私はお仙のお母《ふくろ》でございますが、こちらのお上さんに少しお目にかかりたくてまいりましたので……」
「まあ阿母《おッか》さん、よくまあ!」とお光は急いで店先へ出迎える。
 媼さんはニコニコしながら、「とうとうお邪魔に出ましたよ。不断は御無沙汰《ごぶさた》ばかりしているくせに、自分の用があると早速こうしてねえ、本当に何という身勝手でしょう」
「まあこちらへお上んなさいよ、そこじゃ御挨拶も出来ませんから」
「ええ、それじゃ御免なさいましよ、御遠慮なしに」とお光の後につい
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