体何病気で死んだんだい?」
「病気も何もありゃしないのさ。いつもの通り晩に一口飲んで、いい機嫌《きげん》になって鼻唄《はなうた》か何かで湯へ出かけると、じき湯屋の上《かみ》さんが飛んで来て、お前さんとこの阿父《おとっ》さんがこれこれだと言うから、びっくらして行って見ると、阿父さんは湯槽《ゆぶね》に捉まったままもう冷たくなってたのさ。やっぱり卒中で……お酒を飲んで湯へ入るのはごくいけないんだってね」
「そうかなあ、酒呑《さけの》みは気をつけることだ。そのくせ俺は湯が好きでね」
「そうね。金さんは元から熱湯好《あつゆず》きだったね。だけど、酔ってる時だけは気をおつけよ、人事《ひとごと》じゃないんだよ」
「大きに! まだどうも死ぬにゃ早いからな」
「当り前さ、今から死んでたまるものかね。そう言えば、お前さん今年|幾歳《いくつ》になったんだっけね?」
「九さ、たまらねえじゃねえか、来年はもう三十|面《つら》下げるんだ。お光さんは今年三だね?」
「ええ、よく覚えててね」と女はニッコリする。
「そりゃ覚えてなくって!」と男もニッコリしたが、「何《なん》しろまあいいとこで出逢《であ》ったよ、やっぱり八幡様のお引合せとでも言うんだろう。実はね、横浜《はま》からこちらへ来るとすぐ佃《つくだ》へ行って、お光さんの元の家を訪ねたんだ。すると、とうにもうどこへか行ってしまって、隣近所でも分らないと言うものだから、俺はどんなにガッカリしたか知れやしねえ」
「私ゃまた、鳥居のところでお光さんお光さんて呼ぶから、誰かと思ってヒョイと振り返って見ると、金さんだもの、本当にびっくらしたわ。一体まあ東京を経《た》ってから今日までどうしておいでだったの?」
「さあ、いろいろ談《はな》せば長いけれど……あれからすぐ船へ乗り込んで横浜を出て、翌年《あくるとし》の春から夏へ、主に朝鮮の周囲《いまわり》で膃肭獣《おっとせい》を逐《お》っていたのさ。ところが、あの年は馬鹿にまた猟がなくて、これじゃとてもしようがないからというので、船長始め皆が相談の上、一番度胸を据《す》えて露西亜《ろしや》の方へ密猟と出かけたんだ。すると、運の悪い時は悪いもので、コマンドルスキーというとこでバッタリ出合《でッくわ》したのが向うの軍艦! こっちはただの帆前船で、逃げも手向いも出来たものじゃねえ、いきなり船は抑えられてしまうし、乗って
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