廓的の美人ではない。彼の有名な美人彫刻家ロダンなどに至つては殊にさうである。其中年に彫つた「淑女の肖像」といふの丈けは、端麗で閑寂であつて幾分例外の氣味があるが、其他は、最も有名な、「海邊の乙女」でも、「春の神祕《ミステリー・オブ・スプリング》」でも、「ロメヲ・エンド・ヂュリエット」でも、「フランチイスカ・ボール」でも、「接吻《キス》」でも、其題目は非常にデリケートなものであるに拘らず、作物を一貫して何處かに壯大なところ、優美ではなくて壯美の滿ち/\てるものがある。其顏の如きは實に可笑《をか》しなものがあつて、美人とは何うしても受取れぬやうではあるが、それでも何處とはなしに美人としての傑作たるを許さぬことが出來ないやうに出來てる。であるから彫刻家の目には、世間にいふ絶世の美人も、苫屋の海婦も同じに映つて來る。唯其精神、其内容が如何に深酷に寫されてるか否やに於て、始めて美醜の區別が生じて來るのである。觀音樣といひ辨天樣といひ、ヴィナスといひ、それが名打《なうて》な傑作であるといふ以上には、必ず曲線や、慈愛に富んでる微笑が、如何にも生き/\して命あるものであらねばならぬ。であるから、彫刻家
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