活の中へ入れようと企てた。こういうわけで茶室は茶の湯の他の設備と同様に禅の教義を多く反映している。正統の茶室の広さは四畳半で維摩《ゆいま》の経文《きょうもん》の一節によって定められている。その興味ある著作において、馥柯羅摩訶秩多《びからまかちった》(二七)は文珠師利菩薩《もんじゅしりぼさつ》と八万四千の仏陀《ぶっだ》の弟子《でし》をこの狭い室に迎えている。これすなわち真に覚《さと》った者には一切皆空《いっさいかいくう》という理論に基づくたとえ話である。さらに待合から茶室に通ずる露地は黙想の第一階段、すなわち自己照明に達する通路を意味していた。露地は外界との関係を断って、茶室そのものにおいて美的趣味を充分に味わう助けとなるように、新しい感情を起こすためのものであった。この庭径を踏んだことのある人は、常緑樹の薄明に、下には松葉の散りしくところを、調和ある不ぞろいな庭石の上を渡って、苔《こけ》むした石燈籠《いしどうろう》のかたわらを過ぎる時、わが心のいかに高められたかを必ず思い出すであろう。たとえ都市のまん中にいてもなお、あたかも文明の雑踏や塵《ちり》を離れた森の中にいるような感がする。こう
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