にあらず。いずくんぞ魚の楽しきを知らん。」と。「子は我れにあらず、いずくんぞわが魚の楽しきを知らざるを知らん。」と荘子は答えた。
 禅は正統の仏道の教えとしばしば相反した、ちょうど道教が儒教と相反したように。禅門の徒の先験的|洞察《どうさつ》に対しては言語はただ思想の妨害となるものであった。仏典のあらん限りの力をもってしてもただ個人的思索の注釈に過ぎないのである。禅門の徒は事物の内面的精神と直接交通しようと志し、その外面的の付属物はただ真理に到達する阻害と見なした。この絶対を愛する精神こそは禅門の徒をして古典仏教派の精巧な彩色画よりも墨絵の略画を選ばしめるに至ったのである。禅学徒の中には、偶像や象徴によらないでおのれの中に仏陀《ぶっだ》を認めようと努めた結果、偶像破壊主義者になったものさえある。丹霞和尚《たんかおしょう》は大寒の日に木仏を取ってこれを焚《た》いたという話がある。かたわらにいた人は非常に恐れて言った、「なんとまあもったいない!」と。和尚は落ち着き払って答えた、「わしは仏様を焼いて、お前さんたちのありがたがっているお舎利《しゃり》を取るのだ。」「木仏の頭からお舎利が出てたま
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