るものですか。」とつっけんどんな受け答えに、丹霞和尚がこたえて言った、「もし、お舎利の出ない仏様なら、何ももったいないことはないではないか。」そう言って振り向いてたき火にからだをあたためた。
 禅の東洋思想に対する特殊な寄与は、この現世の事をも後生《ごしょう》のことと同じように重く認めたことである。禅の主張によれば、事物の大相対性から見れば大と小との区別はなく、一原子の中にも大宇宙と等しい可能性がある。極致を求めんとする者はおのれみずからの生活の中に霊光の反映を発見しなければならぬ。禅林の組織はこういう見地から非常に意味深いものであった。祖師を除いて禅僧はことごとく禅林の世話に関する何か特別の仕事を課せられた。そして妙なことには新参者には比較的軽い務めを与えられたが、非常に立派な修行を積んだ僧には比較的うるさい下賤《げせん》な仕事が課せられた。こういう勤めが禅修行の一部をなしたものであって、いかなる些細《ささい》な行動も絶対完全に行なわなければならないのであった。こういうふうにして、庭の草をむしりながらでも、蕪菁《かぶら》を切りながらでも、またはお茶をくみながらでも、いくつもいくつも重
前へ 次へ
全102ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡倉 天心 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング