義して南天に北極星を識《し》るの術といっている。真理は反対なものを会得することによってのみ達せられる。さらに禅道は道教と同じく個性主義を強く唱道した。われらみずからの精神の働きに関係しないものはいっさい実在ではない。六祖|慧能《えのう》かつて二僧が風に翻る塔上の幡《ばん》を見て対論するのを見た。「一はいわく幡動くと。一はいわく風動くと。」しかし、慧能は彼らに説明して言った、これ風の動くにあらずまた幡《ばん》の動くにもあらずただ彼らみずからの心中のある物の動くなりと。百丈が一人の弟子と森の中を歩いていると一匹の兎《うさぎ》が彼らの近寄ったのを知って疾走し去った。「なぜ兎はおまえから逃げ去ったのか。」と百丈が尋ねると、「私を恐れてでしょう。」と答えた。祖師は言った、「そうではない、おまえに残忍性があるからだ。」と。この対話は道教の徒荘子の話を思い起させる。ある日荘子友と濠梁《ごうりょう》のほとりに遊んだ。荘子いわく「※[#「條」の「木」に代えて「黨−尚」、第3水準1−14−46]魚《じょうぎょ》いで遊びて従容《しょうよう》たり。これ魚の楽しむなり。」と。その友彼に答えていわく「子《し》は魚
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