四隣をおそるるがごとく、儼としてそれ客のごとく、渙として冰のまさに釈けんとするがごとく、敦としてそれ樸のごとく、曠としてそれ谷のごとく、渾としてそれ濁るがごとし。――予兮若[#二]冬渉[#一レ]川。猶兮若[#レ]畏[#二]四隣[#一]。儼兮其若[#レ]客。渙兮若[#二]冰将[#一レ]釈。敦兮其若[#レ]樸。曠兮其若[#レ]谷。渾兮其若[#レ]濁。(老子古之善為士章第十五)「予として」は前を見、後をおもんぱかるの意。「猶として」は疑いて行かざるの意。渙は物の離散するをいう。敦は敦原の意。樸はあら木。渾は混に同じ、濁るかたち。
二三 慈、険、及不[#三]敢為[#二]天下先[#一]。(天下皆謂章第六十七)
二四 那伽閼剌樹那[#「那伽閼剌樹那」は底本では「那伽閼刺樹那」]――釈迦没後七百年頃南インドに生れる。大乗経典を研究、その弘伝者として大乗諸宗の祖師といわれる。
二五 商羯羅阿闍梨――七八九年頃南インドに生れる。インド教の復興者、婆羅門哲学の大成者として知られる。
二六 無明――経験界。
二七 馥柯羅摩訶秩多――維摩経ではこの典拠不明。維摩居士のことか。
二八 利休が「富田左近《とみたさこん》へ露地のしつらい教うるとて」示したものは「樫《かし》の葉のもみじぬからにちりつもる奥山寺の道のさびしさ。」で、つづく歌は、千家流に伝える七事の式おきてがきの一つである。
二九 見渡せば……――藤原定家作。千家流に伝えられる七事式の法策書《おきてがき》の一つである。
三〇 夕月夜……――「茶話指月集」による。
三一 ハルンアルラシッド――『アラビアン・ナイト』(千一夜物語)の主人公。
三二 後撰集に僧正遍昭《そうじょうへんじょう》作として同様のものがある。なお、為頼朝臣集《ためよりあそんしゅう》に「折りつれば心もけがるもとながら今の仏にはな奉る」とあり、光明皇后《こうみょうこうごう》の御詠として「わがために花は手折《たお》らじされどただ三世の諸仏の前にささげん」としたものもある。
三三 「天地不仁。」――原文は「仁とせず」あるいは「不仁ならんや」と読む人もあるがここには「仁ならず」として引用してある。
三四 大師作、『秘蔵宝鑰《ひぞうほうやく》』の序より。
三五 梵――インドの波羅門教における最高原理。
三六 花をのみ……――藤原家隆作。利休はわびの本意とてこの歌を常に吟じておった
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