は常に宇宙の大調和と和しようと努め、いつでも冥土《めいど》へ行くの覚悟をしていた。利休の「最後の茶の湯」は悲壮の極として永久にかがやくであろう。
 利休と太閤秀吉《たいこうひでよし》との友誼は長いものであって、この偉大な武人が茶の宗匠を尊重したことも非常なものであった。しかし暴君の友誼はいつも危険な光栄である。その時代は不信にみちた時代であって、人は近親の者さえも信頼しなかった。利休は媚《こ》びへつらう佞人《ねいじん》ではなかったから、恐ろしい彼の後援者と議論して、しばしば意見を異にするをもはばからなかった。太閤と利休の間にしばらく冷ややかな感情のあったのを幸いに、利休を憎む者どもは利休がその暴君を毒害しようとする一味の連累であると言った。宗匠のたてる一|碗《わん》の緑色飲料とともに、命にかかわる毒薬が盛られることになっているということが、ひそかに秀吉の耳にはいった。秀吉においては、嫌疑《けんぎ》があるというだけでも即時死刑にする充分な理由であった、そしてその怒れる支配者の意に従うよりほかに哀訴の道もなかったのである。死刑囚にただ一つの特権が許された、すなわち自害するという光栄である。
 利休が自己犠牲をすることに定められた日に、彼はおもなる門人を最後の茶の湯に招いた。客は悲しげに定刻待合に集まった。庭径をながむれば樹木も戦慄《せんりつ》するように思われ、木の葉のさらさらとそよぐ音にも、家なき亡者《もうじゃ》の私語が聞こえる。地獄の門前にいるまじめくさった番兵のように、灰色の燈籠《とうろう》が立っている。珍香の香が一時に茶室から浮動して来る。それは客にはいれとつげる招きである。一人ずつ進み出ておのおのその席につく。床の間には掛け物がかかっている、それは昔ある僧の手になった不思議な書であって浮世のはかなさをかいたものである。火鉢《ひばち》にかかって沸いている茶釜《ちゃがま》の音には、ゆく夏を惜しみ悲痛な思いを鳴いている蝉《せみ》の声がする。やがて主人が室に入る。おのおの順次に茶をすすめられ、順次に黙々としてこれを飲みほして、最後に主人が飲む。定式に従って、主賓がそこでお茶器拝見を願う。利休は例の掛け物とともにいろいろな品を客の前におく。皆の者がその美しさをたたえて後、利休はその器を一つずつ一座の者へ形見として贈る。茶わんのみは自分でとっておく。「不幸の人のくちびるによ
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