じ、時にはおくる。菅笠を戴き、絲楯を負ふ。學生とは見えぬ風體也。車夫、佐々木氏にさゝやきて曰く、『旦那樣のおつれは、東京の人が東京にかへるにはあらで、田舍の人が東京へ上るやうなり』と。
午後四時頃、鋸山の入口に達し、こゝにて、佐々木氏も、中村氏も、人力車より下りて徒歩す。上ること八町にして、日本寺に達す。これ前日余等三人の來り宿せし所也。
七 鹿野山
あくる朝、寺を辭して山を下り、旅店について朝食し、一同つれだちて歩みぬ。路は海に沿ふ。金谷を過ぎて、竹岡に至るまでの間、浪最もあらし、その巖に碎けて散るさま、甚だ壯觀也。
湊川をわたり、湊村より右折し、和合地を經て、鬼涙山を攀ぢ、終に鹿野山に達す。この山、高さ千五百尺、これが房總第一の高山也。品川より海をへだてて、總房の方を見わたすに、山最も大にして高く見ゆるは、即ちこの鹿野山也。丸屋といふに投宿す。
日くるゝには、まだ程あれば、出でて散歩す。山頂は二段になりて平かに、東西に長し。宿屋は上の段に集まれり。こゝを上町と稱す。東にゆけば、上町の盡きむとする處に、宏壯なる寺あり。神野寺といふ。傳ふこれ聖徳太子の草創にし
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