箱根神社祈願の記
大町桂月
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1−2−22]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)行く/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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明治四十五年の夏、われ箱根山下の湯本村にありて、聖上陛下御重病の飛報に接し、夢かとばかり打驚きぬ。この飛報は、瞬くひまに、山又山を越え、海の外までも傅はりて、一團の愁雲忽ち東海の空を掩へり。六千萬の同胞誰か憂懼に堪へざるものあらんや。村の在郷軍人會の人々、山上の箱根神社に詣でて、御平癒の祈祷をなすと聞き、われも請ひて、その一行に加はる。
午後五時、會長泉澤少尉の家を發す。會せしもの五六人なりしが、行く/\一人加はり、二人加はり、臺の茶屋に至りて待ち合はす程に、二十餘人となりぬ。石を敷きつめたる舊街道を上る。普通二三十人も山路を上るとすれば、必ずや脚健なるものは早く進み、脚弱きものは遙に後れて、ちり/″\ばら/\になるべけれども、さすがに軍隊教育を受けし人達なるだけに、歩調一致し、わざ/\號令せずとも、おのずから一團となり、急進者もなければ、落伍者も無し。須雲川村に至れば、來り加はるもの一人あり。村民各※[#二の字点、1−2−22]戸前に立ち出で、一行に向つて、御苦勞樣と挨拶す。畑宿に至れば、二三人加はる。こゝも一行に挨拶すること、須雲川の如し。老平に至り、甘酒茶屋に休息するほどに、日全く暮れたり。思ひがけずも、杜宇一聲聞ゆ。聲せし方を仰げば、二子の峯、暮色の中に淡く見えて、高く天を衝く。二度とは啼かざりき。
權現坂を下りて元箱根に至り、一同湖水に手を洗ひ、面を洗ひ、口を漱ぎて身を清む。うれしや、湖上ぱつと明かになりて、半輪の月雲間に露はる。離宮のある塔ヶ島、四山の中に最も黒く見ゆ。恰も巨人の臥するが如し。湖水は眠りて、ざぶとの音だにもなし。嗚呼この月は我等の祈願の光明ぞとばかりに感ぜられ、遙に離宮の空に向つて伏し拜む。この離宮建ちてより數十年、鸞駕一たびも到らず。聖上陛下、日夜國の爲に盡瘁せさせられて、避暑避寒遊覽の御暇だにあらせず。箱根離宮建ちたるまゝにて、一度だに目のあたり御覽ぜられたること
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