なきの一事にても、聖徳の一班を仰ぐべし。而してこれこの度の御病の一因となりたるにあらずやと思はるゝにつけても、日本の臣民、誰か感涙に咽ばざらんや。
提燈の光をたよりて、老杉の中の石段を上る。夜氣蕭森として、神聖の地殊に一層神聖なるを覺ゆ。石段を上りつくし、唐門の外に立ち神官の來たるを待つ。あたりは物暗けれども、杉の木立の隙間より、仰いで月魄を見る。さきに湖畔にて見しより一層さやかなるに、いよ/\祈願は成就するなりと、心何となく躍る。石段の下より提燈の光見え初め、暫くして、からん/\と下駄の音聞え初め、又暫くして始めて登り果てたり、これ神官也。一同神官に導かれて拜殿に上り、こゝにて神官に祓ひ清められて、内陣深く進み入り、神官の後ろにひざまづく。蝋燭の光かすかにして、壇上の樣よくは見えず。唯※[#二の字点、1−2−22]神官の右に、偉大なる太鼓ありと見る程もなく。どんと一聲天地の寂寞を破り、大祓の祝詞を讀むの聲、之に和して起る。鼓聲急にして祝詞の聲も急也。さびたる聲にて力あり、人をしておのづから肅然たらしむ。つぎに一同の姓名を讀み上げて、御平癒祈願の詞を陳ぶ。意到り、情盡して、有難しとも有難し。一同拍手頓首し、一々御酒を頂戴して退く。
湖畔に來りて、天を仰げば、さきの明月は早や雲に隱れて、天地全く暗黒也。心ともなく思はれて胸に動悸の波うちしは、我のみにもあらざらむ。一旅店に就いて各※[#二の字点、1−2−22]辨當を食ひ、休息する間にも、心は一つ、他の雜談なし。甘酒茶屋までは、七つ八つの提燈をたよりに來りしが、休息して茶屋に渇を醫し、立ち去らんとすれば、三個の松明を呉れたり。茶代を置かんとすれど、受取らず。嗚呼日本國民は、山中に茶屋を營むものまでも、金よりは義が重き也。その呉れたる松明は、長さ七八尺もある所謂箱根竹を束ねたり。一個にて、十數人を照すに餘りあり。提燈は皆消し、三個の松明を燃して、夜の箱根山を下る。天地暗黒の裡、唯※[#二の字点、1−2−22]この前後數十間の間のみ赤し。石ごろ/\の嶮坂も、いと心安くすた/\歩きて京宿に來れば、村の人々、村はづれに焚火して一行を迎へ、一休憩店に導き、一行の勞を謝し、茶と力餅とを饗し、いづれ御禮參の期あるべし、その節には、大に祝ひて、酒を饗し申さむといふ。殊勝なる心掛かな。御禮參は畑宿の人の期せしのみならず、我等一行の期せ
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