也。雜司ヶ谷の鬼子母神、之に次ぐ。
 日本は古來、農國也。毎年同じ處に、同じものを植うるを以て、多く肥料を要す。其肥料には、人糞を充つ。都下二百萬人の糞、一半は糞舟にて海に向ひ、一半は糞車にのせられて近郊に出づ。大山街道、甲州街道、東山道、奧州街道の如き、都の出口は、糞車ひきもきらざるは、閉口也。二子《ふたご》の渡の如きは、晩方になれば、來るは/\、糞車數百の多きに及ぶ。神經家ありて、糞車と同舟することを嫌はば、終に渡るに由なかるべし。
 武藏野の畑とならぬ處は、雜木林也。雜木とは、櫟、榛木など、木材とならずして、おもに薪炭に用ゐらるゝもの也。その雜木、西郊には、路ばたにもあり。東郊には、あぜ路につらなれり。
 菜花は、田野の春をかざりしものなるが、ともし油幾んどすたれ、石油一般に用ゐらるゝに及びて、菜花の美もなくなれり。西郊には、全く無し。東北郊には遠くはなれて、をり/\之を見る。
 花木の觀を言はむに、近郊に、梅園少なからず。その中にて、最も木ぶり枝ぶりの見るべきは、江東の龜井戸の臥龍梅也。梅園として、美事なるは、西南部の蒲田の梅屋敷也。この二園を見れば十分なるが、なほ江東には、木
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