大久保。藤は、龜井戸天神。やゝ遠くしては、粕壁在の藤、千年の古木にして、房の長さ五六尺に及ぶ。菖蒲は、堀切が有名なりしが、近年蒲田に、菖蒲園出來たり。恐らくは、これ關東第一なるべし。京都は楓多くして、櫻少なし。之に反して、東京は櫻多くして、楓少なし。瀧野川が楓名所にては、大いに物足らぬ心地す。
 根岸の御行の松、東京第一の名木也。もし、大を言はば、麻布善福寺の銀杏なるべし。小岩不動には、星下り松、四抱へもありて、高く立ち、影向松、十間四方にひろがる。この二木をあはせ得て、東京近郊に於ける、松の奇觀也。木下川藥師の富の松、八代將軍の命名せしとかにて、横に長きも、亦奇觀也。
 近郊にて、最も繁昌せる寺は、川崎大師(眞言宗)、池上の本門寺(日蓮宗)、目黒の不動(天台宗)、堀内の祖師(日蓮宗)、新井の藥師(眞言宗)、雜司ヶ谷の鬼子母神(日蓮宗)、西新井の大師(眞言宗)、柴又の帝釋天(日蓮宗)、中山の法華經寺(日蓮宗)、いづれも、酒樓旅館をひかへて、近郊にて、最も繁昌する寺也。關東は日蓮宗の本場にて、日蓮宗の寺は、到る處に繁昌す。池上の本門寺と、中山の法華經寺とは、甲州の身延山と共に、日蓮宗の三大寺也。南の川崎大師、北の西新井大師、これ近郊に於ける眞言宗の二大寺也。されど、いかにも神聖清淨の地と思はるるは、奧澤の九品佛(淨土宗)と、谷原村の新高野山(眞言宗)と也。
 關東は、源氏の故國とて、到る處、八幡宮多し。されど、八幡宮は、例の御利益なければ、どこも餘り繁昌せず。伊勢屋稻荷に犬の糞は、江戸に多きものに數へられけむ。やはり稻荷が八幡宮よりも多くして、且つ繁昌す。雜司ヶ谷の威光天(稻荷の佛化せる名)、王子の稻荷、砂村の疝氣稻荷を始めとし、稻荷は到る處に繁昌したりしが、近年、羽田の穴守稻荷、急に繁昌し始め、あらゆる稻荷の繁昌を、ひとりにて、しよつて立つの觀あり。十數年前には、沮洳蘆荻のみなりし地に、鑛泉宿、料理店、賣店、櫛比して、わざ/\電車も通ずるに至れり。なほ、古き社には、大宮の氷川神社(官幣大社)、府中の大國魂神社(官幣小社)あり。氷川神社は、林泉の美をひかへたり。一風かはれるは、矢口村の新田神社、新田義興を祀る。木下川藥師の留魂祠、勝海舟が西郷南洲の爲にたてたり。若林村の松陰神社、吉田松陰を祀る。其墓もあり、小塚原の刑場より移したるもの也。
 明治の名士の墓は、多く青山埋葬地にあり。大久保利通、後藤象次郎、西郷從道、川上大將、野津中將、副島種臣、廣瀬中佐、落合直文、尾崎紅葉、市川團十郎などの墓、こゝにあり。中谷埋葬地にも、可成り名士の墓多し。市内にては、泉岳寺の四十七士の墓、回向院の鼠小僧の墓、白金の立行寺の大久保彦左衞門の墓、最も有名にして、參詣者も多し。郊外に出でては、品川の東海寺の墓域に、澤庵和尚、賀茂眞淵、服部南郭の墓あり。海晏寺に、岩倉具視、松平春嶽の墓あり。海晏寺より程遠からぬ大井村の山内家の墓域に、山内容堂の墓あり。本門寺には、狩野探幽、星亨の墓あり。目黒不動のほとり、比翼塚、權八小柴を合葬すとて、有名也。洗足池畔に勝海舟の墓あり。世田ヶ谷の豪徳寺に、井伊直弼の墓あり。板橋停車場の傍に、近藤勇の墓あり。山谷には、高尾の墓、揚卷助六の墓あり。橋場の總泉寺に、平賀源内の墓あり。少し市内に入れば犬の墓多きは本所の回向院、貴族の立派なる墓多きは深川の靈嚴寺也。音羽の護國寺の東北の横手、寺も何も無き處に、室鳩巣、柴野栗山、古賀精里、古賀※[#「にんべん+同」、第3水準1−14−23]菴、尾藤二州、岡田寒泉などの墓、累々として相竝ぶ、之を稱して、儒者棄場と云へり。
 古戰場としては、小利根の彼方の國府臺、里見氏と北條氏と相戰ひし處、多摩川の此方の分倍河原、義貞が北條の軍と戰ひ、足利成氏と上杉房顯と戰ひ、北條氏康と上杉朝興と戰ひし處也。矢口の渡は、多摩川の川筋かはりしにつれて、むかしとは異なれど、新田義興の遺恨をとゞむる處也。
 近郊には、桐ヶ谷、目黒不動、喜多見不動、等々力、十二社、深大寺、王子など、諸處に瀧と名のつくもの多し。いづれも人造にかゝりて、馬の小便みたやうなもの也。もし瀧と思ひて、往いて見なば、大いに失望すべし。これらは總べて、見る爲にあらずして、夏日浴する爲にのみ設けられたるもの也。
 十二社の池、三寶寺池、舊神田上水の源なる井の頭池など、池と名のつくもの多けれども、山湖の趣を有するは、西郊の洗足池のみ也。
 關東平原は、日本國中、最も大なる平原也。隨つて東京の近郊は、箱庭的の風景なくして、所謂大陸的也。これ東京近郊の特色也。而して眺望の佳なるは、市内にては愛宕山が第一也。市外に出でては、品川の品川神社、市街と海と山野との眺望をかねたり。國府臺脚下に小利根を見下ろし、三里の平田を隔てて、東京の全市を望む。百草園後に
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