状の節理を成す。奇怪といいても尽さず。霊妙といいても尽さず。ただこれ鬼神が天上に楼閣を造れるかと思わるるばかり也。
 その鬼神の楼閣に迎えられ、送られ、近く石狩川の清流に接して、青葉茂れる木下路を行く心持、ああ何にか譬えん。加藤温泉とて、思いがけずも、一軒の家あるに、如何《いか》なる泉質かと鼻にて先ず知りしが、手を入れて、硫黄泉なるを確めぬ。もとは、ほとんど直立せる巌壁を横絶したりけむ、今は丸木橋にて渡りて、間もなく、塩谷温泉に投ず。五里の層雲峡中、人家あるは、加藤温泉と塩谷温泉との二軒のみ也。他にあらば、原始的の粗末なる家なるべきも、ここにては仙家也。熊の皮に迎えられて、炉火に対し、一杯の酒を飲めば、身既に仙化す。温泉は塩類泉にや、硫黄の気の鼻を衝《つ》かぬも、病なき身の疲を医するには、いとうれし。このあたりは河原広く、かつ長く、川の中に巨大なる蓬莱巌ありて、二つの丸木橋にて、彼岸に達すべく巌頭に立てば、大雪山の数峰の頂も見えて、川を見上げ、見下す風致も、浮世のものならざる也。
 明くれば一行の外、温泉の若主人塩谷忠氏、画家吉積長春氏加わりて、層雲峡を溯《さかのぼ》る。峰上に奇巌多し。巨巌の上部に小巌立ちて、あたかも人の子供を負えるが如きもあり。人の立てるが如きもあり。鉾の如きもあり。これはこれはと足を進むるに、一峰直立して、高さは二千尺もあらん。峰の正面は流紋岩の長柱を連ね、その長柱は峰の両側面に及ぶ。余巌峰を見ること多けれども、かくばかり不可思議なる巌峰を見たることなし。驚歎して、腰を石におろし、煙草呑みても、物足らず、一杯を傾けて、山霊に謝す。ああこれ山か。山ならば神※[#「纔のつくり+りっとう」、137−3]《しんざん》鬼斧《きふ》の奥手を尽したる也。昨日層雲峡に入りて、鬼神の楼閣かと思いしも、今日より見れば、まだほんの鬼神の門戸なりし也。
 昨日は鬼神の門戸を鬼神の楼閣と思いしが、今日は始めて鬼神の楼閣を見たり。その鬼神の楼閣一下して、墻壁となるかと思われしが、また崛起《くっき》して楼閣を起し、二長瀑を挂《か》く。右なるは三百尺、左なるは五百尺もやあらん。南画も描いて、ここまでには到らずと、またも一杯を山霊に捧ぐ。その楼閣の石柱続きて、尽くる所を知らず。余は見物しつつ行き、二人の人夫は魚を釣りつつ行く。時には遅れ、時には先んず。大箱とて、左右の石柱の絶壁
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