げり。大人も小児も打寄りて見物す。その小熊ぐるぐる廻りて、時々ちゅうちゅうと掌を嘗《な》む。熊は大熊とても、何となく可愛らしくして、獅虎の如くに猛獣とは見えず。小熊はなおさら可愛らしく見ゆ。この小熊の行末は動物園の檻に入れらるるか、それとも撲殺せらるるか、いずれにしても人に捕えられたる以上は、もがいても、あせっても、泣いても、叫んでも、熊としての天分を全うする能わざるべしと、本人の小熊は知らざるべきが、人から見れば憐れ也。人とても、無形の鎖に繋がれて、もがきあせり、泣き、叫ぶは、なお一層憐れなりとて、暫《しば》し見物す。目には小熊を見、心には人を見る也。中愛別に午食して、留辺志部《るべしべ》の旅店に投ず。人家四、五十相接し物売る店もありて、附近に農家散在す。石狩川平原の中を貫き大雪山の数峰面に当る。石狩川は下流に石狩平原を有し、中流に旭川平原を有し、上流に留辺志部平原を有す。留辺志部平原が、石狩川の有する最後の平原にして、これより、いよいよ山の中也。比布より下愛別へ三里、下愛別より中愛別へ一里半、中愛別より留辺志部へ三里半、今日は八里の路を歩けり。
真勲別に至りて、山の根に取りつき、層雲別に至りて、いよいよ層雲峡に入る。魚槍を肩にし、創口《きずぐち》より血なお滴《したた》れる鱒を提《さ》げたる男、霧の中より露われ来る。掘立小屋に酔うて歌うものあり。旧土人なりといえり。石狩川は名だたる大河、中流にて神居《かむい》山脈を貫き、上流にて大雪山の腰を貫く。いずれも貫くに急湍を以てせずして、平流を以てす。神居山脈を貫く処に神居古潭《かむいこたん》あり。大雪山の腰を貫く処、即ち層雲峡也。神居古潭は北海道の勝地として世に知られたるが、深さの非凡なる外には格別の風致もなし。層雲峡はいまだ世に知られざるが、天下の絶勝也。石狩川ここにておよそ五里の間、高きは二千尺、低きも千尺を下らざる絶壁に挟まる。川の幅は、三、四十間より漸次狭くなりて、終に十間内外となる。水は浅くして、ほとんど音なし。石狩川も神居古潭あたりは濁れり。旭川あたりも澄まず。層雲峡に至りては、澄みて底石数うべし。両岸の絶壁は、相距《あいへだた》ること、始めは十町内外、五、六町となり、一、二町となり、終に十間内外となる。その絶壁の頂は一様に平かなるに非ず。巌峰の連続にして、支渓おりおり単調を破る。その巌峰は流紋岩にして、柱
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