、相距ること、ほぼ一町ばかりとなれる処に至り、釣り得たる「やまべ」を下物として、上戸は飲み、下戸は食す。
二人の人夫は望むがままに待たしておきて、なお釣らしめ、進んで小箱という処に至る。さても造化は変化を極めたるもの哉。石狩川も小箱に至りては、幅僅に十間、両崖の高さは三、四丈に減ぜるが、依然として石柱の連続也。石理|殊《こと》に明瞭也。水は音なくして、緩《ゆるや》かに流る。徒渉《としょう》して左岸に移り、石柱の下をつたう。いよいよ鬼神の楼閣の室に入りたる也。右崖一欠したる処に、飛泉懸りて仙楽を奏し、一峡呼応す。世に材木巌の奇少なしとせざれども、天上に楼閣を造り、谷底に幽室を造ることは、層雲峡の外には求むべからず。大箱の長さは二十町、小箱の長さは十町、小箱の尽くる処、一大淵を成す。左岸はつたうべからず。徒渉して右峰に移る。淵の上は、二流となる。右はやや大にして本流也。左はやや小にして支流也。海よりここに到るまで、百里にも余らん。石狩川ここにて始めて小渓流となれり。塩谷温泉は五里の層雲峡の中央にあり。塩谷温泉までは細径ありて、右岸に通ず。塩谷温泉より上は径なくして、ただ「やまべ」釣りの踏みたる跡、右岸にあり。その跡も時々絶えて、岸辺の石を飛び飛びに歩かざるべからず。塩谷温泉までの巌峰だけにても、天下の絶景なるが、これなお鬼神の門戸にして、温泉からが楼閣也。その小箱に至るまでの神秘的光景は、耶馬渓になく、昇仙峡になく、妙義山になく、金剛山になし。天下無双也。層雲峡を窮《きわ》めたる者にして、始めて巌峰の奇を説くべき也。
帰路、嘉助氏は渓中にて、死したる鱒を拾い上げしが、食いても旨《うま》からずとて棄つ。魚の中にて、能《よ》く急斜面の渓流を登り得て、最も深く最も高く山に入るものは、この鱒のみ也。その鱒は清渓に生れて、荒海に出で、もとの清渓に戻りて交尾し終れば雄直に死し、雌も間もなく死す。鱒にありては、恋愛即ち死滅也。
往復僅か五、六里と油断して、戻りは宿の提燈《ちょうちん》に迎えられぬ。塩谷氏は年少気鋭、歩くこと飛ぶに似たり。誤って深淵に落ちけるが、水泳を心得おるを以て、着物を濡らせしだけに止まりたりき。山に登らん者は、水泳を心得ざるべからずとは、余の常に説く所なるが、今塩谷氏の例を実見して、ますます余の言の人を誤らざるを知れり。
二 大雪山の第一夜
層
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