鞋を買はむとて、一店に入る。普通一般、草鞋は直ぐ穿けるやうに仕立ててあるものなるに、こゝの店にては、二條の紐が眞直になり居るまゝ也。店主が仕立てて呉れるを、我れ先にと早く買ひたるものは、早く發足す。余は一番あとに取殘されたれば、斯くおくれたるなり』といふ。『旅は路伴れ世は情といふに、さても路伴れの甲斐もない人達かな』とて、少年をいたはれば、少年なつかしがりて、裸男に寄り添ふ。『しかし君、そこが旅の修業なり。人を怨むべきに非ず。妄りに先を爭ふべきにもあらざるが、若し人に後れざらむとならば、なぜ自から仕立てざるぞ。指を銜へて店主の仕立つるを待つは、迂闊も亦甚しからずや』と勵ましつゝ行くに、『この黒いものは何ぞ』と少年叫ぶ。見れば、地上に黒物蜿蜒たり。提燈さしむくるより早く、岡本氏微笑しながら、『何だ、前行者が歩きながら小便したるなり』といふに、一同覺えず、どつと笑ふ。
 中山を過ぎて、船橋にいたる。八兵衛の名に負ひたる成田參詣道中の温柔郷なるが、夜ふけたれば、寂として管絃の音も聞えず。大神宮の石段を上りて休息し、一同握飯を食ふ。午後十時に至りて發足す。
 馬加《まくはり》を過ぎ、檢見《けみ
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