、少しは苦痛を免るゝ心地す。『たゞ見れば何の苦もなき水鳥の足にひまなき我が思ひ哉』と咏じけむ、余の遊行するは、病人の病院に入る也。もとより酒の味は、口に解せず、たゞ、からだのみ解する身也。されど毎日晩酌をかゝざるに慣れて、一二合ぐつと飮み干して、體に微醉を求むるとは、われながら、未練なる男哉。酒に憂へを忘るゝは、小さき料簡也。一切酒を口にせずとは、これも小さき料簡也。飮みて酒の趣を得てもよけれど、進みては、飮まずして酒の趣を得るに至るべし。斗酒も辭せざるは男子の意氣地なるが、飮まざれば酒の趣を得ずとは、まだ悟れぬ人の事なりと、自から悟つたつもりなるも、酒に嘔吐を催すやうになりたるおかげと、思ひ切つては廣言も出來ず。茶店の棚にならべる正宗の瓶をながめて、腹の蟲がまだ納まり兼ぬるやう也。
歩をかへし、李花の間を過ぎ、菜畑を過ぎ、麥畑を過ぎて、元荒川と街道とを隔つる堤上に立つ。大房の桃林の一部遙に見ゆ。ながめ廣やか也。桃の紅、李の白、菜花の黄、麥の緑、之に、一帶の雲が日に映じて紫となれるを合はせて、滿目、五色の天地と、ふと一ぷく吹かしたくなりたるも、おぞや、まだ悟れぬ凡夫の身也。
越ヶ谷
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