林の桃林也。その手前の大房にも、桃林あり、古梅園とて梅園もあり。越ヶ谷の本宿の東方にも、元荒川の左岸に桃林あり。こなたに麥畑あり。川を中にして、緑紅相映ず。
 停車場を出でて、十數町、奧州街道を北行し、一寸、左折すれば、大林の桃林に出でたり。小高き處に、小祠あり、數株の松あり、茶店あり。桃林は、之をかこみて、二三町四方にひろがる。人よりも低き木にして、案外に大なる花を帶ぶ。見渡す限り紅天地と言ひたけれど、實は、それほどの事は無し。小桃林の長くつゞくことは、中山、市川にゆづり、見渡しの晴れやかなるは、こゝが勝る。元荒川は近けれども、桃林それまでは及ばず。遊客は、ほんのぽつ/\あるのみ也。花下に席をしきて、團欒して酒飮むは、近邊の農夫にや。濁聲あげてうたひはやす。中に、一人起ちて跳れば、手や、袖や、桃の枝にふれて、紅雪はら/\と散る。
 露臺に腰かけて、休息す。平生ならば、一杯といふ處なれど、鮨を食ひ、茶をのみてすます。樂みまた其間に在り。十數年來の胃病、この春に至りて、殊に甚し。酒を一寸口にすれば、嘔吐を催して苦しく、煙草を口にするも、亦嘔吐を催す。たゞ、歩きて體をうごかせば、體も精神も
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