、汽車の通ぜざりし頃は、車夫を業とし、東京まで二日半にて走りつき、得たる賃錢を紅樓に一擲して豪遊せしも、すでに一炊の夢に歸しぬ。君よ、我に湯本の花柳界の事を問ひ給ふこと莫れ。老來絶えて芳ばしき夢を結ばず。湯本の驛外、半頃の地を求めて、暮耕朝耨、かくて我生涯は終らむとする也と。
二日半にて六十里の路を走りし男も、老いては、さまで健ならず。われは蕨を採り行くに、導者はなほ遲れがち也。頂上に到れば、一木なし。一面は海、三面は山、常磐の山海、指顧の中に在り。導者は一々山嶽の名を指さし教へむとすれど、暫らく休息せよ、さまで記するに足るべき名山もなしとて、岩に腰かけて、煙草を吹かしつゝ眺望すること多時。
歸路、頂上より七八町下りたる所、一羽の雉、地にすわりて、人を見れども動かず。げにや燒野のきゞす夜の鶴、子をかへすにやあらむと、横目に見て、過ぎ去らむとすれば、導者もまた早く之を認め、むざんや、棒を以て之をなぐる。雉驚いて空に上ること三四尺。力なく地に落ちて又飛ぶこと能はず。眼なほ瞑せずして、口に鮮血を吐く。そのすわりし跡を見れば、果して數個の卵ありき。ひどきことをするもの哉。親鳥はせむかたなし
前へ
次へ
全10ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大町 桂月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング