。せめて卵は鷄にでもかへさせむとて、導者に持たせて、山を下れり。谷底遙に雄雉の聲を聞く。雌を呼ぶにやとあはれ也。

        一〇 松川浦

相馬の野を邊ぐるに、また當年の野馬を見ず。相馬氏の故城址は、中村驛外にあり。城門、城濠、石壁なほ存す。今宵は原釜の海水浴旅館に宿らむとて、中村停車場より車にのり、細田入江に至りて、車をすて、舟に上る。
 余はこれより松川浦に浮ばむとする也。松川浦は松島に次ぐ東奧の奇勝と稱せらるゝ處、余は多年之を夢寐に見しが、今現にその地に來れり。うれしさ譬ふるに物なし。
 されど、夕陽は用捨なく西に沈めり。暮色早や灣々を罩めつくせり。われ舟夫に向ひて、舟を原釜の方に進めよと云へば、日暮れたりとも、せめて松川村まで至りて、然る後に原釜に赴き給へといふ。いなとよ、名だゝる勝地、闇の中に見て過ぎむは、殘り多し。明朝を期して、重ねて來り見むと云へば、さらばとて、舟夫舟を蘆荻の間につなぎ、余を導いて一旅館に至り、明朝を約して歸り去れり。
 時節はづれのこととて、女中はひとりも居らず。宿の妻は、中村の本店にありとて、主人自から食物を調理し、自から膳を運び來りて、杯酌に
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