監獄を右方數町の外に見る。これ夜光命が二年半の歳月を過ごしたる處とて、感慨無量なるべし。見えずなるまで目送す。
我孫子《あびこ》驛にて、佐原行の汽車に乘換ふると共に、辨當を買ひ、瓢酒を飮みながら、之を食ふ。我孫子《がそんし》の『あびこ』を始めとし、木下《もくか》の『きおろし』、安食《あんしよく》の『あじき』、松崎《まつざき》の『まんざき』など、この佐原線には、難訓の驛名少なからず。湖北とて、支那めきたる驛名もあり。布佐驛あたりにて、右に手賀沼の一部分を望み、左に利根川をちらと見る。安食驛に至りて、右に印旛沼の大部分を望む。松崎驛を過ぎて、印旛沼と別るゝかと思ふ間もなく、成田驛に著き、多古行の輕便鐵道に乘換へて、三里塚驛に下る。
不動の成田と仁王の芝山との中間、成田よりも三里、芝山よりも三里の標石ありたれば、三里塚と稱せりと聞く。實は芝山より二里強、成田より二里弱也。數方里の地御料牧場となれるが、その中心の三里塚附近は、この頃櫻の名所となれり。櫻樹の數、實に三萬五千本と稱す。驛を出でて、一二町にして土手に突當る。牧場の一部にて、土手の中に半開の櫻花列を爲す。左折すること二三町にして、
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